ヴィッセル神戸と聞いて、まず大迫勇也を思い浮かべる人は多いでしょう。
ゴールを決め、前線でボールを収め、勝負を決める。
神戸の強さを語るうえで、大迫の存在は外せません。

でも、ピッチをもう少し広く見渡してみると、もう一人「この人も外せない」と思う選手がいます。
酒井高徳です。
1991年3月14日生まれ。アルビレックス新潟からドイツへ渡り、日本代表としてワールドカップも経験。そして2019年にヴィッセル神戸へ加入しました。
本職はサイドバックですが、左右どちらでもプレーでき、必要とされれば別の役割も引き受ける。
派手な得点数で名前が残るタイプではありません。
それでも試合を見ていると、いつの間にかそこにいる。
走る。競る。前へ出る。そして戻る。
若手なら「運動量のある選手」で済むのかもしれません。
しかし長いキャリアを重ねても、それを続けているところに酒井高徳という選手のすごさがあるように思います。
では、この選手はどこからここまで走ってきたのでしょうか。
その始まりは、新潟でした。
酒井高徳の原点は新潟|10代でJリーグのピッチへ
酒井高徳はアルビレックス新潟ユースからトップチームへ昇格しました。
2008年には高校生ながらトップチームに登録され、翌2009年から本格的にJリーグでのキャリアを歩み始めます。
新潟で経験を積み、サイドバックとして評価を高めていった酒井に、やがて海外から声がかかりました。
行き先はドイツです。
酒井は日本人の父とドイツ人の母を持ち、ニューヨークで生まれ、新潟で育ちました。
その経歴だけを見ると、ドイツへの挑戦は自然なものだったようにも見えます。
出典:アルビレックス新潟公式「酒井高徳選手 VfBシュツットガルトへ期限付き移籍のお知らせ」
けれど、海外へ行くことと、そこで試合に出続けることはまったく違います。
まして酒井が挑んだのは、世界でも屈指のリーグであるブンデスリーガでした。
ここから酒井高徳のキャリアは、「海外へ行った日本人選手」という言葉だけでは収まらなくなっていきます。
ドイツで戦った酒井高徳|シュツットガルトからHSV主将へ
2012年、酒井高徳はVfBシュツットガルトへ移籍しました。
最初は期限付き移籍でしたが、その後完全移籍へ移行。
ブンデスリーガの舞台で出場を重ねます。
2015年にはハンブルガーSVへ移籍しました。
そして2016年、酒井はチームのキャプテンを任されます。
酒井がキャプテンを任された2016-17シーズン、HSVは開幕から苦しい戦いが続いていました。
そんな状況で託されたキャプテンマークについて、酒井は後に「自分にできることはなんでもやろう」という思いだったと振り返っています。
出典:アルビレックス新潟公式「酒井高徳自叙伝 W~ダブル~ 販売のお知らせ」
さらに別のインタビューでは、キャプテンとしての自分について「自分にできること以上のことはできない」とも語っています。
特別なリーダーになろうとしたのではなく、自分のできることを一つずつやる。

この姿勢は、現在の酒井高徳にもつながっているように感じます。
華やかな海外挑戦だけではない。
勝てない時間も、降格も、その後の2部での戦いも経験した。
それでもチームの前に立ったことまで含めて、酒井高徳のドイツ時代だったのだと思います。
酒井高徳はなぜ神戸へ?ドイツからJリーグ復帰を選んだ理由
2019年8月、酒井高徳のヴィッセル神戸加入が発表されました。
新潟を離れてから約7年半。
日本代表として世界大会を経験し、ブンデスリーガで戦い、HSVではキャプテンまで務めた選手がJリーグへ帰ってきました。
実はこのとき、酒井は「日本へ帰るしかなかった」わけではありません。
本人はその後のインタビューで、当初はヨーロッパに残ってプレーすることも考えていたと振り返っています。
それでも神戸を選んだ。
出典:ヴィッセル神戸公式「DF酒井高徳選手がハンブルガーSVより完全移籍加入のお知らせ」
そこには、クラブから求められた役割がありました。
海外で経験してきたものを日本人選手へ伝えられる選手が必要だと聞き、酒井は「自分ならできるんじゃないか」と考えたと語っています。
ドイツで長く戦った経験。
HSVで多国籍の選手たちをまとめた経験。
それを今度は日本で使う。
そう考えると、酒井高徳の神戸移籍は「海外からの帰国」というより、次の役割を選んだ移籍だったように見えてきます。
しかも、当時の神戸にはアンドレス・イニエスタ、ダビド・ビジャ、ルーカス・ポドルスキら世界的な選手が在籍していました。
名前だけを並べても、とんでもないチームです。
そして酒井自身も、外国籍選手と日本人選手の間をつなぐ「架け橋」のような存在になりたいという考えを口にしています。
ここで、ドイツ時代と神戸時代がつながります。
海外で外国人選手に囲まれてプレーした日本人が、日本へ戻ると今度は海外から来た選手と日本人選手をつなぐ側になった。
HSVでキャプテンを務めた経験は、神戸へ来た瞬間に過去のものになったわけではありませんでした。
むしろ、その経験を必要とされたからこそ神戸へ来た。
そう考えると、酒井高徳がこのクラブに長くいることにも納得できます。
加入した2019年度には天皇杯を制し、クラブ初の主要タイトル獲得を経験。
その後も神戸に残り、チームの変化を見てきました。
スター選手が来る。
スター選手が去る。
監督が変わる。
チームの戦い方も変わる。
それでも酒井高徳は神戸でプレーし続けてきました。

だから現在の酒井を見るとき、私は「ドイツから帰ってきた選手」というより、もうヴィッセル神戸の酒井高徳という印象のほうが強くなっています。
大迫勇也だけじゃない|ヴィッセル神戸を支える酒井高徳
大迫勇也の記事を書いたあと、ヴィッセル神戸を考えていて酒井高徳の名前が浮かびました。
神戸を語るなら、この人も外せないんじゃないか。
今回、酒井について書こうと思った理由はそこです。
もちろん役割は違います。
神戸が必要としたのは、酒井高徳の脚力や守備力だけではなかったのでしょう。
大迫にはゴールという、誰にでも分かりやすい数字があります。
一方、サイドバックの酒井がやっている仕事は、それほど簡単には数字になりません。
相手と競り、ボールを奪い、味方を追い越し、攻撃に加わる。
そして攻撃が終われば、また自陣へ戻っていく。
90分の中で何度も繰り返します。
酒井高徳が神戸へ加入したときには、すでに28歳でした。
そこから年月を重ねても、サイドで身体を張っている。

私はそこに、この選手の価値を感じます。
そして神戸は、リーグ優勝という景色にもたどり着きました。
出典:ヴィッセル神戸公式「2023明治安田生命J1リーグ優勝会見」
大迫のゴールだけで勝てるわけではない。
山口蛍がいて、武藤嘉紀がいて、酒井高徳がいて、それぞれの場所で仕事をする選手たちがいた。
出典:Jリーグ公式「2023Jリーグアウォーズ 各賞受賞者」
そう考えると、酒井のキャリアは面白いものです。
新潟からドイツへ行き、海外クラブでキャプテンを務め、日本代表として世界を経験した。
その選手が再度日本へ戻ってきて、今度はJリーグで勝つチームを支える側になったのです。
酒井高徳の兄弟もJリーガー|弟・酒井宣福との関係
酒井高徳について検索すると、「兄弟」「弟」という言葉もよく調べられています。
弟の酒井宣福もプロサッカー選手です。
兄の高徳が新潟ユースからトップチームへ進んだのに対し、宣福もアルビレックス新潟でプロキャリアをスタートしました。
同じ家族から複数のJリーガーが生まれたわけです。
なお、同じ「酒井」で日本代表のサイドバックだったことから、酒井宏樹と兄弟なのかと思われることもあるようですが、こちらは兄弟ではありません。
酒井高徳の兄弟を調べると、それだけでも一つのサッカー一家の物語が見えてきます。
ただ、兄・高徳のキャリアはそこからさらに遠くまで伸びていきました。
新潟を飛び出し、ドイツへ渡り、日本代表のユニフォームを着ることになります。
日本代表を離れても終わらなかった酒井高徳のキャリア
酒井高徳は日本代表としてワールドカップの舞台も経験しました。
左右のサイドバックをこなせることは、代表チームでも大きな武器でした。
出典:JFA公式「2018 FIFAワールドカップ ロシア 日本代表メンバー」
しかし2018年のロシアワールドカップ後、酒井は日本代表から退く意思を示します。
ここだけでキャリアを区切れば、「元日本代表の酒井高徳」という紹介になります。
でも、今の酒井を見ると、それでは少し足りない気がします。
代表を離れたあとにもサッカー人生は続いているからです。
ドイツで戦い、その後日本へ戻り、神戸でタイトルを獲得する。
日本代表であることは、酒井高徳のキャリアの大きな一部分です。
しかし、それがすべてではありませんでした。

むしろ代表を離れてからも長く第一線に立ち続けていることに、この選手らしさが表れているのではないでしょうか。
華やかな肩書がなくなっても走る。
注目される選手が隣に来ても、自分の仕事をする。
その積み重ねが、現在の酒井高徳につながっています。
酒井高徳はこれからどこまで走るのか
新潟で10代のころからJリーグのピッチに立った少年は、ドイツへ渡りました。
シュツットガルトで戦い、HSVではキャプテンを務め、日本代表としてワールドカップを経験しました。
そして日本へ帰ってきました。
たどり着いた場所がヴィッセル神戸です。
こうして順番に振り返ると、ずいぶん遠くまで来たものだと思います。
でも酒井高徳は、そこで立ち止まってはいません。
サイドバックという、走ることを要求され続けるポジションで、今もピッチに立っています。
ヴィッセル神戸といえば誰だろう。
大迫勇也。
もちろんそうでしょう。
でも、もう一人挙げるなら。
私は酒井高徳を挙げたい。
新潟からドイツへ渡り、日の丸を背負い、そして神戸へ。
所属クラブも立場も変わりました。

それでも、ずっと走っている。
酒井高徳という選手の記憶を一つの言葉にするなら、案外それが一番似合うのかもしれません。


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