武藤嘉紀の成績は?海外で苦しんだ男が神戸でMVPになるまで

武藤嘉紀の現在の全身像とヴィッセル神戸でゴール前へ飛び込むプレーを描いたアイキャッチ画像 26-27 J1

大迫勇也、酒井高徳と来れば、武藤嘉紀も外せない。

私の中では、ヴィッセル神戸の「御三家」だ。

大迫勇也が野口五郎、酒井高徳が西城秀樹なら、武藤嘉紀は郷ひろみ――。

……例えが古すぎる(笑)。

ただ、この3人がヴィッセル神戸を支えてきた存在であることは間違いない。

大迫が前線でボールを収め、酒井がチームを鼓舞する。

そして武藤は、とにかく走る。

相手の嫌なところへ顔を出し、身体をぶつけ、最後はゴール前へ入ってくる。

そんな武藤嘉紀の成績をあらためて追ってみると、少し不思議なキャリアが見えてくる。

FC東京からドイツへ渡り、マインツではブンデスリーガ66試合20得点。

しかしニューカッスルではプレミアリーグ25試合1得点、エイバルでもラ・リーガ26試合1得点だった。

数字だけなら、海外挑戦の後半で勢いを失ったようにも見える。

ところが日本へ戻った武藤は終わらなかった。

ヴィッセル神戸でJ1連覇と天皇杯優勝に貢献し、2024年には32歳でJリーグ最優秀選手賞(MVP)を受賞した。

なぜ、海外で数字を落とした武藤嘉紀が、30代になって再び頂点まで上がることができたのか。

今回は成績をたどりながら、その理由を追ってみたい。

武藤嘉紀の成績は?FC東京から神戸までを振り返る

まず、武藤嘉紀が歩んできたクラブを振り返ってみよう。

FC東京の育成組織であるU-15深川、U-18でプレーした後、慶應義塾大学へ進学。

2012年、2013年には特別指定選手としてFC東京に登録され、2014年から正式にトップチームへ加わった。

そこからの出世は速かった。

2014年にJ1で33試合13得点。翌2015年も海外移籍までの17試合で10得点を記録し、ドイツの1.FSVマインツ05へ移籍する。

出典:FC東京公式|武藤嘉紀選手 マインツへ完全移籍合意のお知らせ

マインツではブンデスリーガ通算66試合20得点。

その後はイングランドのニューカッスル・ユナイテッド、スペインのSDエイバルを経て、2021年にヴィッセル神戸へ加入した。

大まかな流れを見るとこうなる。

こうして並べると、マインツまではきれいな右肩上がりに見える。

そしてニューカッスル、エイバルで数字が大きく落ちる。

普通なら、ここからキャリアの終盤へ向かっても不思議ではない。

ところが武藤は、ここからもう一度上がった。

その理由を知るには、まず若き日の武藤がどんな選手だったのかを見る必要がある。

武藤嘉紀はFC東京で何がすごかった?慶應から日本代表、そして海外へ

「慶應卒のサッカー日本代表」。

こう書くだけでも、なんだか出来すぎた経歴に見える。

しかし武藤は、大学で突然サッカー選手になったわけではない。

FC東京U-15深川、U-18と育成組織でプレーしながらトップチーム昇格には至らず、慶應義塾大学へ進んだ。そして大学在学中に特別指定選手としてFC東京へ戻ってきた。

2014年にはJ1で13得点。

同年、日本代表にも選出される。

翌2015年には17試合10得点を残し、シーズン途中でマインツへ完全移籍した。

大学生だった選手が、わずかな期間でJリーグ、日本代表、そしてブンデスリーガまで駆け上がったことになる。

若いころの武藤には速さがあった。

しかし、それだけではなかった。

相手の背後へ走り、身体をぶつけ、ゴール前まで入っていく。

後に神戸で見せるプレーの原型は、このころからすでにあったように思う。

そしてドイツへ渡った武藤は、それをさらに磨いていった。

マインツでは20得点、それでもニューカッスルではなぜ苦しんだ?

マインツで武藤は、ブンデスリーガ66試合20得点を記録している。

これは「海外では通用しなかった選手」の数字ではない。

2015年に日本代表へ合流した際、武藤自身もマインツでの変化について語っている。

裏を取る姿勢、そして攻守にハードワークする部分がさらに強くなったという趣旨の言葉だ。

出典:日本サッカー協会|SAMURAI BLUE、マスカット到着、練習開始(武藤嘉紀選手コメント)

ここが、今の武藤嘉紀を見るうえで重要だと思う。

神戸で走る武藤を見ていると、「ベテランになって献身的な選手へ変わった」と考えたくなる。

しかし違う。

走ることは、ずっと武藤の武器だった。

その武藤が2018年、プレミアリーグのニューカッスルへ移籍する。

ところがリーグ戦の成績は25試合1得点。

その後、スペインのエイバルでも26試合1得点だった。

マインツの66試合20得点と比べれば、明らかに数字が違う。

ニューカッスルでは負傷によって試合を欠場した時期もあり、継続して先発の座をつかむことができなかった。

ただ、私はこれを「プレミアでは通用しなかった」の一言で片づけたくない。

なぜなら、もし武藤という選手そのものがここで終わっていたなら、その後の神戸での活躍を説明できないからだ。

武藤嘉紀は怪我にも苦しんだ|試合に出られない時間が続いた海外後半

ニューカッスル時代には、負傷によって先発メンバーから外れたことがクラブ公式にも記録されている。

出典:ニューカッスル・ユナイテッド公式|Team news: Three changes(2018年11月10日)

さらに翌シーズンには、開幕から時間が経ってから「今季初先発」と紹介された試合もあった。

ストライカーにとって、試合へ継続して出られないことは厳しい。

ましてプレミアリーグという世界最高峰の舞台で、限られた出場時間の中から結果を求められる。

25試合1得点。

数字だけを見れば寂しい。

しかし、サッカー選手の成績は能力だけで決まるものではない。

コンディション、監督の戦術、ポジション争い、チーム状況。

いくつもの要素が重なった結果として、最後に数字が残る。

だから私は、ニューカッスル時代の「1」という数字だけで武藤を評価する気にはなれない。

何より、その続きを私たちはJリーグで見ることになる。

武藤嘉紀はなぜヴィッセル神戸で復活できたのか

2021年8月、武藤嘉紀はヴィッセル神戸へ完全移籍した。

出典:ヴィッセル神戸公式|FW武藤嘉紀選手 完全移籍加入のお知らせ

ドイツ、イングランド、スペインと渡り歩き、日本へ戻ってきた。

ここを「海外挑戦を終えてJリーグへ帰ってきた」と書けば簡単だ。

しかし武藤は、帰国直後に日本代表へ復帰している。

本人も代表選出について「いつ呼ばれてもいいように準備をしていました」と語った。

終わるつもりで帰ってきた選手の言葉には聞こえない。

そして神戸で、大迫勇也、酒井高徳らとともにタイトルを狙うチームの中心になっていく。

2024年、ヴィッセル神戸はJ1連覇を達成。さらに天皇杯も制して二冠を達成した。

そのチームからJリーグ最優秀選手賞に選ばれたのが、武藤嘉紀だった。

出典:ヴィッセル神戸公式|武藤嘉紀選手「2024Jリーグ 最優秀選手賞(MVP)」受賞のお知らせ

32歳で初のJリーグMVP。

FC東京で13得点した若者でもない。

マインツでゴールを重ねた海外組でもない。

ニューカッスルで1得点に終わった後の武藤嘉紀が、Jリーグの頂点に立った。

私はここに、武藤のキャリアの面白さがあると思う。

若いころより速くなったからではない。

海外へ行く前より身体能力が上がったからでもないだろう。

これまで武器にしてきた走力、フィジカル、ゴールへの動きに、海外で経験したものが積み重なった。

だから30代になっても、勝つチームに必要な選手であり続けられたのではないだろうか。

武藤嘉紀の筋肉がすごい?32歳でも走り続けられる身体

さて。

大迫勇也、酒井高徳と来た以上、ここも避けては通れない。

武藤嘉紀も、立派な神戸マッチョ軍団の一員である(笑)。

実際、「武藤嘉紀 筋肉」という検索キーワードもある。

ただし、これは見た目だけの話ではない。

2024年の月間MVP選考では、武藤のハードワークが評価され、スプリント数の多さや、身体を張りながら90分間走り続ける姿にも言及されている。

出典:ヴィッセル神戸公式|武藤嘉紀 2024年11・12月度J1月間MVP受賞

武藤自身も32歳になった自分について、努力を怠れば成長が止まってしまう時期だからこそ、自分にプラスアルファを課しているという趣旨の話をしている。

筋肉は裏切らない。

……という話にしてしまうと急に筋トレブログになる(笑)。

重要なのは、鍛えた身体を何に使っているかだ。

酒井高徳も2024年の川崎戦で、自身のプレーから武藤がゴールを決めた場面について、

「(武藤がそこに)いることが素晴らしい」

と評価している。

そこにいる。

簡単なようで、90分間走った最後にもそこへ入っていくには、身体と意志の両方が必要だ。

それこそが武藤嘉紀の強さなのだと思う。

武藤嘉紀の嫁は誰?結婚や家族について

武藤嘉紀について調べると、「成績」以上に検索されているのが「嫁」だ。

みんな、サッカー見ようぜ(笑)。

武藤は2015年に結婚している。

妻は渡辺輝さんで、父親は政治家の渡辺周氏として知られている。

武藤がFC東京からマインツへ移籍したのも2015年。

つまり、日本代表へ選ばれ、海外移籍を決め、結婚もした時期が重なっている。

人生が一気に動いた一年だったことになる。

ただ、このサイトで追いたいのは家族のプライベートではなく、その後も続いた武藤嘉紀というサッカー選手の物語だ。

華やかに海外へ渡った青年は、思い描いたような時間ばかりを過ごしたわけではなかった。

だからこそ、その後の神戸での姿が面白い。

武藤嘉紀は現在も神戸で戦う|成績だけでは残らないもの

FC東京でゴールを量産した。

マインツでも20得点した。

ニューカッスルでは1得点。

エイバルでも1得点。

そして日本へ戻り、ヴィッセル神戸で32歳にしてJリーグMVPになった。

武藤嘉紀のキャリアを数字だけ並べれば、大きな山と谷がある。

でも、その谷を消してしまったら武藤嘉紀の物語ではなくなる。

プレミアで結果を残せなかった時間も、試合に出られなかった時間もあった。

それでも走ることをやめなかった。

若いころから武器だったハードワークを捨てず、経験を積み重ね、神戸では自分が点を取るだけではなく、チームを勝たせるために働く選手になった。

2024年のMVP受賞時、武藤は「僕自身1人では何ひとつできなかった」と仲間への感謝を語っている。

出典:ヴィッセル神戸公式|2024Jリーグ ベストイレブン受賞のお知らせ(武藤嘉紀選手の質疑応答)

若き日の武藤嘉紀は、自らの力で海外への扉をこじ開けた。

今の武藤嘉紀は、仲間とともに勝つことの価値を知っている。

大迫勇也がいて、酒井高徳がいて、武藤嘉紀がいる。

私にとって、この3人はヴィッセル神戸の「御三家」なのである。

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