大迫勇也、酒井高徳と来れば、武藤嘉紀も外せない。

私の中では、ヴィッセル神戸の「御三家」だ。
大迫勇也が野口五郎、酒井高徳が西城秀樹なら、武藤嘉紀は郷ひろみ――。
……例えが古すぎる(笑)。
ただ、この3人がヴィッセル神戸を支えてきた存在であることは間違いない。
大迫が前線でボールを収め、酒井がチームを鼓舞する。
そして武藤は、とにかく走る。
相手の嫌なところへ顔を出し、身体をぶつけ、最後はゴール前へ入ってくる。
そんな武藤嘉紀の成績をあらためて追ってみると、少し不思議なキャリアが見えてくる。
FC東京からドイツへ渡り、マインツではブンデスリーガ66試合20得点。
しかしニューカッスルではプレミアリーグ25試合1得点、エイバルでもラ・リーガ26試合1得点だった。
数字だけなら、海外挑戦の後半で勢いを失ったようにも見える。
ところが日本へ戻った武藤は終わらなかった。
ヴィッセル神戸でJ1連覇と天皇杯優勝に貢献し、2024年には32歳でJリーグ最優秀選手賞(MVP)を受賞した。
なぜ、海外で数字を落とした武藤嘉紀が、30代になって再び頂点まで上がることができたのか。
今回は成績をたどりながら、その理由を追ってみたい。
武藤嘉紀の成績は?FC東京から神戸までを振り返る
まず、武藤嘉紀が歩んできたクラブを振り返ってみよう。
FC東京の育成組織であるU-15深川、U-18でプレーした後、慶應義塾大学へ進学。
2012年、2013年には特別指定選手としてFC東京に登録され、2014年から正式にトップチームへ加わった。
そこからの出世は速かった。
2014年にJ1で33試合13得点。翌2015年も海外移籍までの17試合で10得点を記録し、ドイツの1.FSVマインツ05へ移籍する。
出典:FC東京公式|武藤嘉紀選手 マインツへ完全移籍合意のお知らせ
マインツではブンデスリーガ通算66試合20得点。
その後はイングランドのニューカッスル・ユナイテッド、スペインのSDエイバルを経て、2021年にヴィッセル神戸へ加入した。
大まかな流れを見るとこうなる。
| 所属クラブ | 主なリーグ成績 |
|---|---|
| FC東京 | 2014年33試合13得点、2015年17試合10得点 |
| マインツ | ブンデスリーガ66試合20得点 |
| ニューカッスル | プレミアリーグ25試合1得点 |
| エイバル | ラ・リーガ26試合1得点 |
| ヴィッセル神戸 | 2024年JリーグMVP、ベストイレブン |
こうして並べると、マインツまではきれいな右肩上がりに見える。
そしてニューカッスル、エイバルで数字が大きく落ちる。
普通なら、ここからキャリアの終盤へ向かっても不思議ではない。
ところが武藤は、ここからもう一度上がった。
その理由を知るには、まず若き日の武藤がどんな選手だったのかを見る必要がある。
武藤嘉紀はFC東京で何がすごかった?慶應から日本代表、そして海外へ
「慶應卒のサッカー日本代表」。
こう書くだけでも、なんだか出来すぎた経歴に見える。
しかし武藤は、大学で突然サッカー選手になったわけではない。
FC東京U-15深川、U-18と育成組織でプレーしながらトップチーム昇格には至らず、慶應義塾大学へ進んだ。そして大学在学中に特別指定選手としてFC東京へ戻ってきた。
2014年にはJ1で13得点。
同年、日本代表にも選出される。
翌2015年には17試合10得点を残し、シーズン途中でマインツへ完全移籍した。
大学生だった選手が、わずかな期間でJリーグ、日本代表、そしてブンデスリーガまで駆け上がったことになる。
若いころの武藤には速さがあった。
しかし、それだけではなかった。
相手の背後へ走り、身体をぶつけ、ゴール前まで入っていく。
後に神戸で見せるプレーの原型は、このころからすでにあったように思う。
そしてドイツへ渡った武藤は、それをさらに磨いていった。
マインツでは20得点、それでもニューカッスルではなぜ苦しんだ?
マインツで武藤は、ブンデスリーガ66試合20得点を記録している。
これは「海外では通用しなかった選手」の数字ではない。
2015年に日本代表へ合流した際、武藤自身もマインツでの変化について語っている。
裏を取る姿勢、そして攻守にハードワークする部分がさらに強くなったという趣旨の言葉だ。
出典:日本サッカー協会|SAMURAI BLUE、マスカット到着、練習開始(武藤嘉紀選手コメント)
ここが、今の武藤嘉紀を見るうえで重要だと思う。
神戸で走る武藤を見ていると、「ベテランになって献身的な選手へ変わった」と考えたくなる。
しかし違う。
走ることは、ずっと武藤の武器だった。
その武藤が2018年、プレミアリーグのニューカッスルへ移籍する。
ところがリーグ戦の成績は25試合1得点。
その後、スペインのエイバルでも26試合1得点だった。
マインツの66試合20得点と比べれば、明らかに数字が違う。
ニューカッスルでは負傷によって試合を欠場した時期もあり、継続して先発の座をつかむことができなかった。

ただ、私はこれを「プレミアでは通用しなかった」の一言で片づけたくない。
なぜなら、もし武藤という選手そのものがここで終わっていたなら、その後の神戸での活躍を説明できないからだ。
武藤嘉紀は怪我にも苦しんだ|試合に出られない時間が続いた海外後半
ニューカッスル時代には、負傷によって先発メンバーから外れたことがクラブ公式にも記録されている。
出典:ニューカッスル・ユナイテッド公式|Team news: Three changes(2018年11月10日)
さらに翌シーズンには、開幕から時間が経ってから「今季初先発」と紹介された試合もあった。
ストライカーにとって、試合へ継続して出られないことは厳しい。
ましてプレミアリーグという世界最高峰の舞台で、限られた出場時間の中から結果を求められる。
25試合1得点。
数字だけを見れば寂しい。
しかし、サッカー選手の成績は能力だけで決まるものではない。
コンディション、監督の戦術、ポジション争い、チーム状況。
いくつもの要素が重なった結果として、最後に数字が残る。
だから私は、ニューカッスル時代の「1」という数字だけで武藤を評価する気にはなれない。
何より、その続きを私たちはJリーグで見ることになる。
武藤嘉紀はなぜヴィッセル神戸で復活できたのか
2021年8月、武藤嘉紀はヴィッセル神戸へ完全移籍した。
出典:ヴィッセル神戸公式|FW武藤嘉紀選手 完全移籍加入のお知らせ
ドイツ、イングランド、スペインと渡り歩き、日本へ戻ってきた。
ここを「海外挑戦を終えてJリーグへ帰ってきた」と書けば簡単だ。
しかし武藤は、帰国直後に日本代表へ復帰している。
本人も代表選出について「いつ呼ばれてもいいように準備をしていました」と語った。
終わるつもりで帰ってきた選手の言葉には聞こえない。
そして神戸で、大迫勇也、酒井高徳らとともにタイトルを狙うチームの中心になっていく。
2024年、ヴィッセル神戸はJ1連覇を達成。さらに天皇杯も制して二冠を達成した。
そのチームからJリーグ最優秀選手賞に選ばれたのが、武藤嘉紀だった。
出典:ヴィッセル神戸公式|武藤嘉紀選手「2024Jリーグ 最優秀選手賞(MVP)」受賞のお知らせ
32歳で初のJリーグMVP。
FC東京で13得点した若者でもない。
マインツでゴールを重ねた海外組でもない。
ニューカッスルで1得点に終わった後の武藤嘉紀が、Jリーグの頂点に立った。

私はここに、武藤のキャリアの面白さがあると思う。
若いころより速くなったからではない。
海外へ行く前より身体能力が上がったからでもないだろう。
これまで武器にしてきた走力、フィジカル、ゴールへの動きに、海外で経験したものが積み重なった。
だから30代になっても、勝つチームに必要な選手であり続けられたのではないだろうか。
武藤嘉紀の筋肉がすごい?32歳でも走り続けられる身体
さて。
大迫勇也、酒井高徳と来た以上、ここも避けては通れない。
武藤嘉紀も、立派な神戸マッチョ軍団の一員である(笑)。
実際、「武藤嘉紀 筋肉」という検索キーワードもある。
ただし、これは見た目だけの話ではない。
2024年の月間MVP選考では、武藤のハードワークが評価され、スプリント数の多さや、身体を張りながら90分間走り続ける姿にも言及されている。
出典:ヴィッセル神戸公式|武藤嘉紀 2024年11・12月度J1月間MVP受賞
武藤自身も32歳になった自分について、努力を怠れば成長が止まってしまう時期だからこそ、自分にプラスアルファを課しているという趣旨の話をしている。
筋肉は裏切らない。
……という話にしてしまうと急に筋トレブログになる(笑)。
重要なのは、鍛えた身体を何に使っているかだ。
酒井高徳も2024年の川崎戦で、自身のプレーから武藤がゴールを決めた場面について、
「(武藤がそこに)いることが素晴らしい」
と評価している。
そこにいる。
簡単なようで、90分間走った最後にもそこへ入っていくには、身体と意志の両方が必要だ。
それこそが武藤嘉紀の強さなのだと思う。
武藤嘉紀の嫁は誰?結婚や家族について
武藤嘉紀について調べると、「成績」以上に検索されているのが「嫁」だ。
みんな、サッカー見ようぜ(笑)。
武藤は2015年に結婚している。
妻は渡辺輝さんで、父親は政治家の渡辺周氏として知られている。
武藤がFC東京からマインツへ移籍したのも2015年。
つまり、日本代表へ選ばれ、海外移籍を決め、結婚もした時期が重なっている。
人生が一気に動いた一年だったことになる。
ただ、このサイトで追いたいのは家族のプライベートではなく、その後も続いた武藤嘉紀というサッカー選手の物語だ。
華やかに海外へ渡った青年は、思い描いたような時間ばかりを過ごしたわけではなかった。
だからこそ、その後の神戸での姿が面白い。
武藤嘉紀は現在も神戸で戦う|成績だけでは残らないもの
FC東京でゴールを量産した。
マインツでも20得点した。
ニューカッスルでは1得点。
エイバルでも1得点。
そして日本へ戻り、ヴィッセル神戸で32歳にしてJリーグMVPになった。
武藤嘉紀のキャリアを数字だけ並べれば、大きな山と谷がある。
でも、その谷を消してしまったら武藤嘉紀の物語ではなくなる。
プレミアで結果を残せなかった時間も、試合に出られなかった時間もあった。
それでも走ることをやめなかった。
若いころから武器だったハードワークを捨てず、経験を積み重ね、神戸では自分が点を取るだけではなく、チームを勝たせるために働く選手になった。
2024年のMVP受賞時、武藤は「僕自身1人では何ひとつできなかった」と仲間への感謝を語っている。
出典:ヴィッセル神戸公式|2024Jリーグ ベストイレブン受賞のお知らせ(武藤嘉紀選手の質疑応答)
若き日の武藤嘉紀は、自らの力で海外への扉をこじ開けた。
今の武藤嘉紀は、仲間とともに勝つことの価値を知っている。
大迫勇也がいて、酒井高徳がいて、武藤嘉紀がいる。

私にとって、この3人はヴィッセル神戸の「御三家」なのである。


コメント