2026年8月7日、国立競技場で行われた横浜F・マリノスと鹿島アントラーズのJ1開幕戦。
前半7分、先制ゴールを決めたのは、まだ16歳の三井寺眞(みいでら・しん)選手でした。
16歳4か月5日での得点は、森本貴幸選手に次ぐJ1歴代2位の年少得点記録です。
しかも、三井寺選手はその4か月前、16歳の誕生日に横浜F・マリノスとプロ契約を結んだばかりでした。
青森県で生まれ、仙台で育成年代を過ごし、横浜へ。
複数のクラブが関心を寄せるなか、なぜ三井寺選手はマリノスを選んだのでしょうか。
この記事では、本人が公式会見で語った進路選択の理由、高校時代の経歴、プロ契約に至る評価、そしてJ1の歴史に名前を刻んだゴールまでを振り返ります。
16歳の才能が見せた鮮烈な第一歩。その先には、どんな未来が待っているのでしょうか。
三井寺眞はなぜ横浜F・マリノスを選んだのか
三井寺眞選手が横浜F・マリノスを選んだ理由は、2026年4月3日のプロ契約締結会見で本人が語っています。
三井寺選手は、複数のクラブで練習参加を経験しました。
そのなかで、横浜F・マリノスの環境に魅力を感じ、日産スタジアムのピッチに立ちたいという思いを強くしたそうです。
本人が進路選択で大切にしていたのは、単に有名なクラブであることではありませんでした。
サッカーを楽しめること。
そして、自分がさらに強くなれると感じられることです。
マリノスの練習についても、雰囲気の良さと強度の高さを評価しています。

私は、この選択基準がとても印象に残りました。
16歳でプロ契約できるほどの才能があれば、将来の可能性を考えてさまざまな条件を比較したくなるかもしれません。
しかし、本人が口にしたのは、サッカーを楽しむことと成長できる環境でした。
青森から仙台へ、そして横浜へと進んできた三井寺選手にとって、自分がどこで成長できるかは、以前から大切にしてきた判断基準だったようです。
日産スタジアムでプレーしたいという思い
三井寺選手は、マリノスを選んだ理由として、日産スタジアムのピッチに立ちたいという希望も明かしています。
大きなスタジアムで、多くのサポーターの前に立つ。
それはプロサッカー選手を目指す少年にとって、ひとつの憧れだったのでしょう。
ただし、本人はプロ契約をゴールとは考えていませんでした。
会見では、早くからマリノスを代表する選手になりたいという意欲も示しています。
契約することと、チームを代表する存在になること。
その間には大きな距離があります。
三井寺選手は、その距離を埋めるための第一歩を、横浜で踏み出しました。
三井寺眞の高校と進路|青森から仙台、そして横浜へ
三井寺眞選手は2010年4月2日、青森県に生まれました。
現在は第一学院高等学校に在籍しながら、横浜F・マリノスのトップチームでプレーしています。
まずは、これまでの経歴を整理します。
| 時期 | 所属・経歴 |
|---|---|
| 小学生時代 | Athletic Club 弘前 |
| 中学生時代 | FCフォーリクラッセ仙台 |
| 高校年代 | 横浜F・マリノスユース |
| 在籍高校 | 第一学院高等学校 |
| 2026年4月2日 | 横浜F・マリノスとプロ契約 |
サッカーを始めたのは小学2年生
三井寺選手がサッカーを始めたきっかけは、保育園時代からの友人に誘われたことでした。
小学2年生の頃の話です。
プロ契約会見では、サッカーを始めた当時、ボールを止めることさえうまくできなかったと振り返っています。
今では相手をドリブルでかわし、J1の舞台でゴールを決める選手です。

その姿からは、最初から何でもできた少年を想像してしまいます。
しかし、本人が語った出発点は、ごく普通の子どもが友人に誘われてサッカーを始めたというものでした。
ここにも、三井寺選手の物語を感じます。
中学時代に青森から仙台へ
小学生時代をAthletic Club 弘前で過ごした三井寺選手は、中学年代になるとFCフォーリクラッセ仙台へ進みました。
生まれ育った青森を離れ、仙台でサッカーに取り組む道を選んだのです。
この進路選択についても、プロ契約会見では、自分が楽しみながら成長できる環境を重視してきたことを説明しています。
そして高校年代には横浜F・マリノスユースへ。
青森、仙台、横浜。
それぞれの場所で経験を積みながら、プロへの道を切り開いてきました。
第一学院高等学校に在籍
三井寺選手が在籍しているのは、第一学院高等学校です。
同校は2026年4月23日、在校生である三井寺選手のプロ契約を公式サイトで紹介しました。
学業とプロサッカー選手としての活動を両立させながら、新たな挑戦を続けていることが伝えられています。
なお、第一学院高等学校を選んだ具体的な理由については、今回確認した公式資料では明らかになっていません。
高校の進学先と、サッカー選手としてマリノスを選んだ理由は、分けて考える必要があります。
三井寺眞が16歳0日でプロ契約|マリノスが評価した才能
2026年4月2日。
三井寺眞選手は16歳の誕生日に、横浜F・マリノスとプロ契約を締結しました。
16歳0日での契約は、クラブ史上最年少記録です。
しかも、単に将来性のある選手として名前を登録したという話ではありません。
クラブは、三井寺選手がトップチームで活躍することを期待して、早い段階でプロ契約に踏み切りました。
クラブが評価した攻撃のセンスとアイデア
契約発表時、鈴木健仁スポーティングダイレクターは、三井寺選手のスピードとパワー、攻撃局面で違いを生み出す発想力を評価しています。
さらに翌日の会見では、小原章吾編成マネージャーが、ドリブルやパスを使って得点とアシストを生み出せることを魅力として挙げました。
つまり、三井寺選手に期待されていたのは、ボールを扱う技術だけではありません。
その技術を使って、実際に試合のスコアを動かすことです。
サッカーでは、うまい選手と、試合を決められる選手が必ずしも同じとは限りません。
マリノスは、三井寺選手にその両方の可能性を見ていたのでしょう。
ミスを恐れず、次のボールを要求する
もうひとつ、私が注目したのは精神面への評価です。
小原編成マネージャーは、三井寺選手がトップチームの練習でも物怖じせず、ミスをしても次のプレーで再びボールを求める姿勢を評価しています。

これは、プロの舞台で生き残るために重要な資質ではないでしょうか。
若い選手が経験豊富な相手に囲まれれば、失敗を恐れて消極的になることも考えられます。
それでも、ボールを受けることから逃げない。
攻撃的な選手にとって、その姿勢は大きな武器になります。
クラブが16歳という早い段階で契約を決断した背景には、技術だけでなく、こうしたプレーへの向き合い方もあったのだと思います。
三井寺眞の成績|J1歴代2位の年少ゴールが生まれた鹿島戦
2026年8月7日。
横浜F・マリノスは、2026/27シーズンのJ1開幕戦で鹿島アントラーズと対戦しました。
この試合で三井寺眞選手は、16歳4か月5日という若さで先発出場します。
そして前半7分、いきなり先制ゴールを決めました。
プロ契約から約4か月。
初めて立ったJ1の舞台で、三井寺選手は歴史に残る一撃を放ったのです。
森本貴幸に次ぐJ1歴代2位の年少得点
三井寺選手のゴールは、J1史上2番目に若い年齢での得点となりました。
| 選手 | 得点時の年齢 | 記録 |
|---|---|---|
| 森本貴幸 | 15歳11か月28日 | J1歴代最年少 |
| 三井寺眞 | 16歳4か月5日 | J1歴代2位 |
森本貴幸選手が東京ヴェルディ1969で最年少得点記録を樹立したのは2004年です。
あれから22年。
Jリーグの歴史に、再び16歳の名前が刻まれました。
森本選手が登場した頃を覚えているサッカーファンにとって、この記録は特別な響きを持つのではないでしょうか。
当時の森本選手も、年齢を感じさせないプレーで大きな注目を集めました。
そして今度は三井寺選手です。
ただし、最年少記録に近づいたからといって、その後のキャリアまで同じ道を歩むわけではありません。
大切なのは、ここからどのような選手になっていくかです。
初ゴールだけではなかった鹿島戦
鹿島戦での三井寺選手は、ゴールを決めただけではありませんでした。
横浜F・マリノスの試合後監督会見では、初ゴールに加えて、チームのほかの2得点にも関与したことが評価されています。
つまり、マリノスが挙げた3得点すべてに関わっていたのです。
試合は3-4で敗れました。
しかし、16歳の攻撃的MFが開幕戦で見せた存在感は、勝敗とは別に記憶されるべきものでした。
しかも、指揮官は年齢よりもパフォーマンスを重視して起用したことを説明しています。
若いから経験を積ませるために出したのではなく、試合で力を発揮できると判断されたから起用された。

私は、そこに大きな意味があると思います。
出典:横浜F・マリノス公式|鹿島アントラーズ戦 試合後監督会見
神戸戦でも決勝ゴール
鹿島戦から2週間後の8月22日、三井寺選手はヴィッセル神戸戦でも結果を残しました。
開始9分に先制ゴールを決め、横浜F・マリノスはその1点を守り抜いて1-0で勝利しています。
鹿島戦では歴史に残るゴール。
神戸戦ではチームを勝利に導く決勝ゴール。
わずか3試合目で、三井寺選手は異なる意味を持つ2つの得点を記録しました。
さらに8月は4試合2得点の活躍が評価され、Jリーグ月間ヤングプレーヤー賞を受賞しています。
一度の鮮烈なデビューだけでは終わらなかったことが、この受賞にも表れています。
2026/27シーズンの公式成績
Jリーグ公式サイトで確認できる2026年9月10日更新時点の成績は、次のとおりです。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| J1出場 | 6試合 |
| 得点 | 2 |
| アシスト | 0 |
| 枠内シュート | 3 |
| チャンスクリエイト | 6 |
| 総走行距離 | 45.4km |
※2026年9月10日更新の公式掲載データです。
出場数や得点数は、これからも変わっていきます。
それでも、16歳でJ1の舞台に立ち、実際に勝敗を左右するプレーを見せた事実は変わりません。
三井寺眞のプレースタイル|フォーデンに憧れる左利きの攻撃者
三井寺眞選手のプレースタイルを語るうえで、外せないのがドリブルです。
本人もプロ契約会見で、前を向いてゴールへ向かうプレーを自分の武器として挙げています。
そして、憧れの選手として名前を出したのが、マンチェスター・シティのフィル・フォーデン選手でした。
ドリブルで相手をかわし、ゴールへ向かう
三井寺選手の特徴は、ボールを持ったときに相手の守備を動かせることです。
ドリブルで前進するだけでなく、パスやシュートという選択肢を持ちながら攻撃に関わります。
クラブの編成担当者が評価したのも、攻撃のアイデアと、得点やアシストにつながるプレーでした。
また、トップチームでは右ウイングやトップ下での起用が想定されていました。
どちらのポジションでも、相手の守備を崩す判断力が求められます。
右サイドから仕掛けるのか、中央でボールを受けて攻撃を組み立てるのか。
これから経験を積むなかで、三井寺選手の特徴がどのように磨かれていくのか楽しみです。
憧れはフィル・フォーデン
三井寺選手は中学生の頃から、フォーデン選手のプレーを参考にしてきたと語っています。
ただし、本人は特定の選手のスタイルをそのまま目指しているわけではないとも説明しています。
さまざまな選手のプレーを見て、自分のなかに取り入れてきたそうです。
ここは興味深いところです。
憧れの選手はいても、誰かのコピーになることが目標ではない。
マリノス側も、三井寺選手には独自性のある選手になってほしいと期待しています。

フォーデンに憧れる少年が、やがて「三井寺眞らしいプレー」と呼ばれる武器を確立していく。
そんな成長を見てみたいものです。
三井寺眞は日本代表の未来を担う存在になるか
三井寺眞選手は、すでに育成年代の日本代表に選ばれています。
横浜F・マリノスの公式発表によると、2025年にはU-15日本代表とU-16日本代表、2026年にはU-17日本代表の経歴があります。
さらに2026年には、U-16日本代表の国内大会メンバーにも選出されました。
出典:横浜F・マリノス公式|U-16日本代表メンバー選出のお知らせ
つまり、J1での活躍が突然始まったわけではありません。
育成年代から継続して評価を受けてきた選手なのです。
16歳で得た経験を次につなげられるか
ただし、育成年代の代表とA代表では、求められるものが違います。
J1で2得点を挙げたからといって、すぐに日本代表の主力になれるわけではありません。
これから重要になるのは、継続して試合に出場し、相手に研究されても自分の持ち味を発揮できるかどうかです。
初めて対戦する相手には通用したドリブルも、何度も対戦するうちに対策されるかもしれません。
そのときに、新しい選択肢を身につけられるか。
得点できない試合でも、チームの攻撃に貢献できるか。
そうした積み重ねが、選手としての将来を左右していくのでしょう。
マリノスでタイトルを獲り、海外へ
三井寺選手はプロ契約会見で、将来の目標についても語っています。
まずは横浜F・マリノスでタイトルを獲ること。
そしてクラブを代表する選手になり、将来的には海外へ挑戦することです。

私は、この順番がいいなと思いました。
海外でプレーすることだけを目標にするのではなく、まず自分を選んでくれたクラブで結果を残す。
その先に、さらに大きな舞台を見据えています。
16歳でJ1の歴史に名前を残した選手ですが、本人が目指している場所は、まだずっと先にあるようです。
三井寺眞についてよくある質問
| 質問 | 回答 |
|---|---|
| 三井寺眞はどこの高校に通っていますか? | 第一学院高等学校に在籍しています。 |
| 三井寺眞のポジションは? | MFです。トップチームでは右ウイングやトップ下での起用が想定されています。 |
| 三井寺眞は日本代表に選ばれていますか? | 2025年にU-15・U-16日本代表、2026年にU-17日本代表の経歴があります。 |
| 三井寺眞の背番号は? | 横浜F・マリノスでは47番を着用しています。 |
| 三井寺眞は何歳ですか? | 2010年4月2日生まれで、2026年11月現在16歳です。 |
まとめ|16歳の記録は、三井寺眞の物語の始まり
三井寺眞選手が横浜F・マリノスを選んだ理由は、自分がサッカーを楽しみながら成長できる環境だと感じたからでした。
青森から仙台へ、そして横浜へ。
自分の可能性を広げるために選んできた道が、16歳0日でのプロ契約につながりました。
そして2026年8月7日、鹿島アントラーズ戦。
16歳4か月5日で決めたゴールは、森本貴幸選手に次ぐJ1歴代2位の年少得点記録となりました。
私が印象に残ったのは、クラブが評価していた攻撃の才能だけではありません。
ミスをしても、またボールを求める姿勢です。
プロとしての経験が浅い16歳だからこそ、失敗を恐れず挑戦し続けることには大きな意味があると思います。
Jリーグには、若くして注目を集めた選手が数多くいました。
その後、日本代表として活躍した選手もいれば、さまざまな壁に直面した選手もいます。
三井寺眞がどのようなキャリアを歩むのか、今はまだ分かりません。
ただ、ひとつだけ確かなことがあります。
2026年8月7日、国立競技場で生まれたあのゴールは、すでにJリーグの歴史に刻まれています。
あの日の16歳が、10年後、どんな選手になっているのでしょうか。
そんな未来を想像しながら、これからのプレーを見守りたいと思います。

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