初めて日本代表に選ばれたのに、その実力を代表のピッチで見せることはできませんでした。
2025年6月、日本代表に初招集された柏レイソルの熊坂光希選手。
しかし、代表活動中のトレーニングで負傷し、チームを離脱することになります。
診断は右膝前十字靭帯断裂。
初めてつかんだ日本代表という舞台は、試合に出場することなく終わってしまいました。
それから約1年3か月。
2026年9月、発表された日本代表メンバーの中に、再び「熊坂光希」の名前がありました。
初招集では見せることのできなかった熊坂光希の実力。

今度こそ、それを日本代表のピッチで見せるときが来たのでしょうか。
熊坂光希とはどんな選手なのか。
ポジションやプレースタイル、高校・大学から柏レイソルへ戻ってきた経歴、そして大きなケガから再び日本代表にたどり着くまでを追ってみます。
熊坂光希とは?柏レイソルで存在感を高めたMF
熊坂光希選手は2001年4月15日生まれ、埼玉県出身のミッドフィルダーです。
身長185cm、体重80kg。
利き足は右。
2026/27シーズンも柏レイソルで背番号27をつけています。
プロとして柏に加入したのは2024年です。
Jリーグ初出場は同年3月30日のアルビレックス新潟戦。
ルーキーイヤーはJ1リーグ10試合に出場し、2025年には18試合まで出場機会を増やしました。
特に2025年は、リカルド・ロドリゲス監督のもとで出場時間を伸ばします。
同シーズンのリーグ戦出場時間は1575分。
柏の選手では10番目の数字でした。
そして2025年5月、ついに日本代表へ初招集されます。
プロ入りからまだ2年目。
海外クラブでプレーする選手が数多く並ぶ日本代表に、Jリーグでプレーする熊坂が選ばれました。
順調に階段を上っているように見えました。
ところが、その先に思いもしない出来事が待っていました。
熊坂光希のポジションとプレースタイル
熊坂光希の登録ポジションはMFです。
柏では中盤に入り、攻守のつなぎ役を担っています。
185cmのサイズがありますが、単純に高さやフィジカルだけで勝負する選手ではありません。
2026/27シーズンのJリーグ公式スタッツを見ると、9月時点でデュエル勝利16回、空中戦勝利9回、総走行距離75.9kmを記録しています。
ボールを奪う、競り合う、走る。
中盤で必要になる仕事を幅広くこなせることが熊坂の特徴のひとつでしょう。
一方で、守備だけをする選手でもありません。
2025年のルヴァンカップ福島ユナイテッドFC戦では、熊坂からジエゴへつないだパスが起点となり、最後は渡井理己の決勝ゴールにつながっています。
後方で守るだけではなく、ボールを動かしながら攻撃にも関わっていく。
現在の柏でプレーする熊坂を見るうえでは、そうした攻守両面への関わりに注目したいところです。
本人も今回の代表復帰に際して「攻守において自分の特徴をしっかり出したい」とコメントしています。
日本代表でどんな役割を任されるのか。
それを考える前に、熊坂がどのようにここまでたどり着いたのかを振り返ってみます。
高校・大学から柏レイソルへ|熊坂光希が歩んできた道
熊坂光希と柏レイソルの関係は、プロ入りから始まったものではありません。
小学生年代では彦成フットボールクラブ、南郷FCスポーツ少年団、戸ヶ崎イレブンSSSでプレー。
その後、柏レイソルU-15に加入しました。
中学年代から高校年代まで柏のアカデミーで過ごし、U-18在籍時には日本体育大学柏高校に通っています。
しかし、そのままトップチームへ昇格したわけではありませんでした。
高校卒業後に進んだのは東京国際大学です。
大学で4年間プレーした熊坂に、再び柏から声がかかります。
2023年7月、柏レイソルは翌2024シーズンから熊坂が加入することを発表しました。
このときの本人のコメントが印象に残ります。
熊坂はアカデミーで過ごした6年間について、苦しい時間のほうが多かったと振り返り、その経験があったからこそ、大学を経て柏へ戻る意味があるという思いを語っています。
アカデミーから直接トップチームへ。
そんな一直線の道ではありませんでした。
一度大学へ進み、4年間を経て、育ったクラブへ帰ってきました。
そしてプロ2年目には日本代表までたどり着きます。
遠回りにも見える大学での4年間が、熊坂をもう一度柏へ連れ戻し、その先に日本代表がありました。

ところが、そこで熊坂はサッカー選手としてさらに大きな試練に直面します。
怪我はサッカーにつきもの。
しかし、このタイミングでと同情しました。
初の日本代表招集、しかし熊坂光希を待っていたのはケガだった
2025年5月、熊坂光希はFIFAワールドカップ26アジア最終予選に臨む日本代表へ初招集されました。
6月5日のオーストラリア代表戦、10日のインドネシア代表戦に向けたメンバーです。
JFAの発表では、熊坂の名前に初招集を示す印が付けられていました。
しかし、熊坂に代表デビューの機会は訪れませんでした。
6月8日の代表トレーニング中に負傷。
翌9日、柏レイソルから「右膝前十字靭帯断裂」と診断されたことが発表されます。
熊坂は同日、日本代表から離脱しました。
初めて呼ばれた日本代表です。
そこでどんなプレーをするのか、本人も楽しみにしていたはずです。
ところが代表のユニフォームを着て公式戦のピッチに立つ前に、その機会がなくなりました。
しかも、短期間で戻れるようなケガではありませんでした。
2026年9月の再招集が決まった際、熊坂自身が当時について振り返っています。
「初招集でケガをしてしまって、プレーできずに終わったのは本当に悔しかったです」
そして、復帰後はもう一度日本代表を目指してプレーしていたことも明かしました。

あの初招集が幻になったわけではありません。
むしろ「もう一度」という目標になったのでしょう。
では、熊坂はそこからどのように戻ってきたのでしょうか。
ケガから復帰した熊坂光希は柏で何を見せたのか
熊坂光希がJリーグのピッチに戻ってきたのは、2026年5月23日でした。
J1百年構想リーグのジェフユナイテッド千葉戦。
79分、熊坂がピッチへ入ります。
2025年5月25日の横浜FC戦以来、約1年ぶりの公式戦復帰でした。
Jリーグ公式のマッチレポートには、熊坂がピッチに入る際、柏のファン・サポーターから大きな拍手が送られたことも記されています。
初招集の日本代表で負傷してから、長い時間が過ぎました。
まずは試合に戻る。
そして再び出場時間を増やしていく。
2026/27シーズンに入ると、その歩みはさらに速くなりました。
8月8日の水戸ホーリーホック戦で80分、14日の東京ヴェルディ戦で90分、21日のV・ファーレン長崎戦で90分、29日の清水エスパルス戦でも90分出場。
9月11日の京都サンガF.C.戦でもフル出場しています。
9月20日のFC町田ゼルビア戦でも先発し、82分間プレー。
柏は4-2で勝利しました。
大きなケガから復帰したばかりの選手という段階を越え、再び柏の中盤で試合に出続けるところまで戻ってきたことが分かります。
本人も代表再招集時、「感覚的にはプレーの質は戻ってきている」と話しています。
そして、そのプレーを見ていたのは柏のサポーターだけではありませんでした。
再び、日本代表から声がかかります。
熊坂光希が日本代表に再招集|今度こそ実力を見せる時が来たのか
2026年9月17日、日本代表メンバーが発表されました。
そこに熊坂光希の名前がありました。
JFAは今回の招集について、熊坂ら7選手が日本代表に「復帰」したと発表しています。
9月24日のウルグアイ代表戦、28日のベネズエラ代表戦、さらに10月のキリンカップを戦うメンバーです。
熊坂本人にとっても、予想より早い再招集だったようです。
復帰後は日本代表を目標にしていたものの、「まさかこんなに早く選ばれるとは思っていなかった」と率直な驚きを語っています。
それでも、今回の熊坂は初招集のときとは違います。
一度、日本代表にたどり着きました。
そこで大きなケガをしました。
約1年をかけて公式戦へ戻りました。
そして柏で再び先発としてプレーできるところまで状態を上げ、もう一度日本代表に選ばれました。

もちろん、再招集されたから代表で活躍できると決まったわけではありません。
今回のメンバーには、佐野海舟、田中碧、佐野航大、鈴木唯人、松木玖生ら中盤でプレーできる選手が並んでいます。
その中で出場機会をつかみ、自分の特徴を見せなければなりません。
だからこそ、見てみたいと思います。
初招集では見ることのできなかった、日本代表のユニフォームを着てプレーする熊坂光希を。
柏のアカデミーから大学へ進み、再び柏へ戻ってプロになりました。
プロ2年目でつかんだ初代表は、大きなケガによってプレーすることなく終わりました。
それでも、熊坂は戻ってきました。
本人が目標にしていた日本代表へ、もう一度。

初招集で見せられなかった熊坂光希の実力。
今度こそ、それを見せるときが来たのでしょうか。


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