佐野航大のゴールに、歓喜したファンも多いと思います。
2026年9月13日、PSVはスパルタ・ロッテルダムに4-1で勝利。
先発した佐野航大は、1-1で迎えた場面でペナルティーエリア外から強烈なシュートを決めました。
これがPSV移籍後、公式戦初ゴールです。
しかも勝ち越しとなる一発。
PSV公式も、このゴールが後半に主導権を握っていく土台になったと振り返っています。
ファジアーノ岡山でプロ生活を始めた選手が、オランダの名門PSVで背番号24をつけ、ゴールを決めている。
では、佐野航大はこれまでどんな成績を残し、なぜここまで評価される選手になったのでしょうか。
調べていくと、もう一人よく知る「佐野」の名前も出てきました。
佐野海舟。

……兄弟だったのか。
今回は佐野航大の成績やポジション、岡山からオランダへ渡った経歴を追いながら、兄・海舟との関係、そして日本代表までつながった現在地を見ていきます。
佐野航大の成績は?PSVで移籍後初ゴール
佐野航大は2003年9月25日生まれ、岡山県津山市出身のMFです。
米子北高校から2022年にファジアーノ岡山へ加入。
2023年夏にはオランダ1部のNECナイメヘンへ完全移籍し、2026年8月にPSVへステップアップしました。
そしてPSV加入から約1か月後の9月13日、スパルタ・ロッテルダム戦で初ゴールを記録します。
PSV公式によると、佐野はこの試合に先発。
1-1から遠い位置より強烈なシュートを決めて2-1とし、チームはその後さらに2点を加えて4-1で勝利しました。
出典:PSV公式|スパルタ戦 試合レポート(2026年9月14日)
移籍したばかりの日本人選手が、PSVの中盤に入り、勝ち越しゴールまで決める。
岡山時代を知る人ほど、この光景には感じるものがあったのではないでしょうか。
私も「海外へ行った若手」という感覚で見ていた佐野航大が、いつの間にかPSVでゴールを決めるところまで来ていたことに驚きました。
では、その間に何があったのでしょう。
佐野航大はなぜオランダへ?岡山からNEC、そしてPSVへの移籍
佐野航大が最初に海を渡ったのは2023年です。
ファジアーノ岡山からNECナイメヘンへの完全移籍が発表されました。
シーズン途中でチームを離れる決断です。
岡山の公式発表で佐野は、途中でクラブを離れることへの迷いがあったことを明かしています。
出典:ファジアーノ岡山公式|佐野航大選手 NECナイメヘンへ完全移籍のお知らせ
それでも決断した理由は明確でした。
海外でサッカーをするという、自分が掲げていた目標に挑戦するためです。
J2で試合に出られるようになったから、その場所に留まるのではない。
次の目標が見えていたから進む。
そしてNECでの約3年間を経て、2026年8月8日、PSVへの完全移籍が発表されました。
契約は2031年まで。背番号は24です。
PSV加入時、佐野は今回の移籍を自身のキャリアにおける「理想的な次のステップ」と表現しています。
岡山からNECへ行ったときには「海外でプレーする」という目標がありました。
その海外で結果を残し、今度はオランダ国内のトップクラブへ。
振り返ってみると、一足飛びにPSVへ来た選手ではありません。
一つずつ次の場所をつかんできた選手なのだと思います。
佐野航大のポジションは?PSVが評価した「6番」のダイナミズム
「佐野航大のポジションはどこ?」
そう思って調べると、少し面白いことが分かります。
ファジアーノ岡山への加入内定時、公式プロフィールに記載されていたポジションは「MF、FW」でした。
ところが現在のPSVが佐野に期待している役割は、より後ろです。
PSVのフットボールディレクター、アーネスト・スチュワートは加入発表の中で、佐野をダイナミズムのある「6番」として評価しています。
強度を出せること、PSVのスタイルに合うこと、さらに若くしてプレッシャーの中でも責任を負えることも獲得理由として挙げられました。
高校からプロ入りするときはMF、FW。
現在はPSVから「6番」として評価されている。
これだけでも佐野航大が一つの役割だけでここまで来た選手ではないことが分かります。
そして面白いのは、本人自身が昔から攻撃への意識を持っていたことです。
PSV初ゴールも、後ろでボールをさばくだけではなく、自ら前へ出てシュートを打ったところから生まれました。
守備と攻撃をつなぎながら、自分でもゴールへ向かう。

考えてみれば、PSVが言う「ダイナミズム」は、あの一発にも表れていたように感じます。
佐野航大と佐野海舟は兄弟!二人の違いは?
佐野航大を調べていて、私が一番「そうだったのか」と思ったのがここでした。
日本代表MFの佐野海舟は、航大の3歳上の兄です。
しかも兄弟で同じ米子北高校へ進み、プロサッカー選手になっています。
ただ、プレーの特徴は同じではありません。
2024年のインタビューで航大自身が、兄は守備、自分は攻撃という趣旨で二人の違いを説明しています。
子どもの頃から海舟は守備やセカンドボールを意識する一方、航大はボールに触りたい、ゴールを決めたいというタイプだったそうです。
同じ環境で育った兄弟でも、サッカーの見方は違っていた。
だからこそ面白いのが、航大が語っていた夢です。
「いつか日本代表で兄とダブルボランチを組みたい」
その夢は思っていたより早く現実になりました。
2025年6月10日のワールドカップ・アジア最終予選、インドネシア戦。
61分、佐野航大がピッチへ入ります。
そのピッチには、すでに兄・海舟がいました。
JFAの公式マッチレポートにも「海舟選手と兄弟での出場」と記録されています。
出典:JFA公式|日本代表対インドネシア代表 試合レポート(2025年6月10日)
航大にとってA代表デビュー戦。
それが兄と初めて日本代表のピッチに立つ試合になりました。
後に本人は「兄と一緒にプレーすることは夢でした」と振り返っています。

兄弟だと知らずに調べ始めた私には、この流れが一番印象に残りました。
同じ「佐野」という名前だから気になった二人が、本当に兄弟だった。
しかも子どもの頃から一緒にボールを蹴ってきた二人が、最後には日の丸をつけて同じ中盤に立ったのです。
佐野航大と日本代表|「見る側」から兄と同じピッチへ
佐野航大と日本代表との接点は、A代表デビューから始まったわけではありません。
年代別代表を経験し、2023年にはU-20ワールドカップの日本代表メンバーにも選出されています。
そして2025年5月、ワールドカップ・アジア最終予選に臨むA代表へ初招集。
このときメンバー表には、
佐野海舟。
そして佐野航大。
兄弟二人の名前が並びました。
6月10日のインドネシア戦で航大は途中出場し、A代表デビュー。
出場から6分後には右からのクロスへ飛び込み、ヘディングシュートでゴールを狙っています。
結果は6-0。
代表デビューと兄弟同時出場を同じ日に経験しました。
ただ、そこで「夢がかなった」で終わらないところも佐野航大らしいのかもしれません。
2026年1月のインタビューでは、兄とプレーすることは夢だったとしながらも、当日は自分が何を残せるかに集中していて、その夢を実感する余裕はなかったと振り返っています。
夢だった場所に着いた瞬間にも、次を見ている。
岡山を離れたときの姿と、どこか重なって見えます。
佐野航大Q&A
| 質問 | 回答 |
|---|---|
| 佐野航大の現在の所属クラブは? | オランダ1部のPSVです。2026年8月にNECナイメヘンから完全移籍しました。 |
| 佐野航大のポジションは? | MFです。PSVはダイナミズムのある「6番」として評価しています。岡山加入時はMF、FWとして登録されていました。 |
| 佐野航大と佐野海舟は兄弟? | はい。海舟が3歳上の兄です。2025年には日本代表で兄弟同時出場を果たしました。 |
| 佐野航大の出身高校は? | 鳥取県の米子北高校です。卒業後、ファジアーノ岡山へ加入しました。 |
| 佐野航大は日本代表でプレーしている? |
佐野航大の原点は岡山|米子北から地元クラブでプロへ
PSVでプレーする現在から時間を戻してみます。
佐野航大は岡山県津山市出身。
FC Viparteを経て、鳥取県の強豪・米子北高校へ進みました。
高校3年だった2021年、ファジアーノ岡山への加入内定が発表されます。
出典:ファジアーノ岡山公式|佐野航大選手 来季新加入内定のお知らせ
そのとき、佐野はクラブを通してこう語っています。
プロサッカー選手になるという小さい頃からの夢を、地元・岡山でかなえられたことがうれしい――。
ここが佐野航大のプロとしての出発点でした。
地元岡山でプロになる夢をかなえる。
次は海外でプレーするという目標を追ってNECへ行く。
そこで評価を高め、PSVへ移籍する。
そして日本代表では、子どもの頃から一緒にボールを蹴ってきた兄と同じピッチに立つ。
夢を一つかなえると、そこで終わらず次へ進んでいるように見えます。
2026年9月、PSVで決めた初ゴールも、おそらくその途中なのでしょう。
岡山からオランダへ。
NECからPSVへ。
そして、その先にはまだ何があるのか。

佐野航大の現在を追ってみると、完成した選手の物語というより、まだ先が続いている選手の物語に見えてきました。


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