西川周作の成績と現在|J1歴代最多タイ672試合を達成した40歳GK

西川周作の成績と現在を紹介するアイキャッチ画像。酔拳の構えを取る西川周作の似顔絵と、浦和レッズでのGKプレーシーンを描いたイラスト。 26-27 J1

2026年10月31日、浦和レッズの西川周作選手がJ1通算672試合出場を達成しました。

柏レイソルとのアウェイゲームに先発出場し、遠藤保仁さんが持つJ1歴代最多出場記録に並びました。

しかし、記念すべき一戦は0-4の敗戦。

40歳の守護神にとって、記録達成の喜びと厳しい試合結果が重なる一日になりました。

出典:Jリーグ公式サイト|2026年10月31日 柏レイソル対浦和レッズ 試合結果

2005年に大分トリニータでJ1デビューを果たしてから21年。

大分、広島、浦和と歩んできた西川選手は、ついにJ1の歴史に名を刻みました。

今回は、J1歴代最多タイとなった672試合の記録と現在の成績を中心に、そのキャリアを振り返ります。

2005年に大分トリニータでJリーグデビューを果たした少年は、40歳になった今も、浦和レッズの背番号1としてピッチに立ち続けています。

私が西川選手について印象深く感じるのは、長くプレーしていることだけではありません。

ゴールを守るGKでありながら、正確な左足のキックで攻撃を始めることができる選手。

大分、広島、浦和と所属クラブが変わっても、その技術は西川選手を象徴する武器であり続けています。

今回は、西川周作選手の現在の成績とJ1最多出場記録を中心に、20年以上にわたるキャリア、日本代表での経験、そして40歳でも第一線でプレーできる理由を振り返ります。

西川周作がJ1通算672試合出場|歴代最多記録に並ぶ

2026年10月31日、西川周作選手は柏レイソル戦に先発出場しました。

これにより、J1通算出場数は672試合となり、遠藤保仁さんが保持する歴代最多記録に並びました。

一方、浦和レッズは柏レイソルに0-4で敗戦。

西川選手にとって、節目の試合は悔しい結果となりました。

それでも、2005年から21年にわたってJ1の舞台で出場を積み重ねてきた事実は変わりません。

次にJ1リーグ戦へ出場すれば、673試合となり、単独の歴代最多記録を更新します。

※2026年10月31日終了時点。

順調に出場を続ければ、続くヴィッセル神戸戦で新記録を樹立する可能性があります。

記録よりも目の前の1試合

記録達成が目前に迫るなか、西川選手は、これまで支えてくれた監督やコーチ、選手への感謝を語っています。

また、記録に並んでも更新しても、目の前の1試合を積み重ねていく姿勢は変わらないとしています。

この考え方に、西川選手らしさを感じます。

671試合という数字は、単に長く在籍していれば到達できるものではありません。

毎年のように新しい選手が加入し、監督が交代し、戦術も変わるプロの世界。

そのなかで出場機会を勝ち取り続けた結果が、この数字につながっています。

しかも西川選手はGKです。

一つのポジションを基本的に一人で担うGKにとって、長年試合に出場し続けることの難しさは、フィールドプレーヤーとはまた違ったものがあるはずです。

西川周作の成績とプロフィール|20年以上のキャリア

まずは西川選手の基本プロフィールを整理します。

西川選手は大分トリニータの育成組織からトップチームに昇格し、その後、サンフレッチェ広島、浦和レッズでプレーしてきました。

所属クラブと主な成績

個人としても、2012年から2016年まで5年連続でJ1ベストイレブンに選出され、2023年には6度目の受賞を果たしています。

また、フェアプレー個人賞も複数回受賞しています。

GKとしての技術だけでなく、安定したプレーと競技に向き合う姿勢も評価されてきた選手です。

出典:浦和レッズ公式サイト|西川周作 選手プロフィール

大分トリニータからサンフレッチェ広島へ|若き守護神の成長

西川選手のJリーグでの歩みは、大分トリニータから始まりました。

大分県宇佐市出身で、大分トリニータU-15、U-18を経てトップチームへ昇格しています。

Jリーグデビューは2005年7月2日、横浜F・マリノス戦でした。

まだ19歳のGKでしたが、同年からJ1リーグ戦で21試合に出場しています。

大分時代に味わった初タイトル

2008年、大分トリニータはヤマザキナビスコカップで優勝しました。

地方クラブの大分が初めて獲得した主要タイトル。

そのチームのゴールマウスを守っていたのが西川選手です。

この時期の大分は、堅い守備を武器に上位へ進出していました。

西川選手にとっても、守備組織のなかでGKとしての役割を果たし、タイトルを勝ち取った経験は、その後のキャリアにつながる大きな財産になったのではないでしょうか。

広島で磨かれた攻撃の起点になる技術

2010年、西川選手はサンフレッチェ広島へ移籍します。

広島では2012年、2013年のJ1連覇を経験しました。

当時の広島は、後方からボールをつなぎ、選手同士の連係によって相手の守備を崩していくサッカーを展開していました。

GKにも足元の技術やパスの判断が求められるチームです。

西川選手の正確な左足のキックは、こうしたサッカーとの相性がよかったと感じます。

相手のプレスをかわして味方につなぐことも、前線へ一気にボールを送ることもできる。

GKが攻撃の出発点になるという考え方を、広島時代の西川選手はピッチ上で示していました。

浦和レッズの守護神として|長くゴールを守り続けた理由

2014年、西川選手は浦和レッズへ移籍しました。

以来、浦和の背番号1として長い時間を過ごしています。

浦和では2016年のルヴァンカップ優勝、2017年と2022年のACL優勝など、国内外のタイトル獲得に貢献しました。

特にACLでの優勝は、浦和のサポーターにとっても忘れられない記憶でしょう。

国内リーグとは異なる環境や相手との対戦でも、ゴールマウスを守り続けた経験は、西川選手のキャリアを象徴するものです。

浦和で12年以上プレーするということ

浦和レッズは、常に結果を求められるクラブです。

選手の入れ替わりもあり、監督が代われば戦術も変化します。

そのなかで西川選手は、何度も新しいチームづくりを経験してきました。

GKにはセービングだけでなく、ディフェンスラインとの連係、味方への指示、攻撃の組み立てなど、多くの役割があります。

新しい監督の要求に対応し、チームメートとの関係を築き直すことも必要です。

長く浦和に在籍しているという事実は、それだけ多くの変化に向き合ってきたことを意味します。

2026/27シーズンには、宮本優太選手、金子拓郎選手、渡邊凌磨選手とともに、4人のチームキャプテンの一人にも選ばれました。

40歳になった西川選手は、プレーだけでなく、チームを支える存在としても役割を担っています。

出典:浦和レッズ公式サイト|2026/27シーズン キャプテンについて

西川周作の日本代表歴|ワールドカップとGKの競争

西川選手は、日本代表として国際Aマッチ31試合に出場しています。

また、2008年の北京オリンピック、2014年のブラジルワールドカップにも日本代表として参加しました。

2014年ブラジルワールドカップ

2014年のブラジル大会では、アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表に選出されました。

当時の日本代表には川島永嗣選手、権田修一選手も選ばれており、西川選手はGKの一角として大会に臨んでいます。

本大会での出場機会はありませんでしたが、世界最高峰の大会を代表チームの一員として経験しました。

日本代表での立ち位置

日本代表のGK争いは、常に厳しいものがあります。

西川選手も川島永嗣選手らとポジションを争いながら、代表での経験を積み重ねました。

特に西川選手の足元の技術は、後方から攻撃を組み立てるサッカーにおいて大きな特徴でした。

GKとしての守備力に加え、ボールを扱う技術を持つことが、西川選手の代表キャリアを支えた一つの要素だったと考えます。

出典:日本サッカー協会|西川周作 日本代表プロフィール

西川周作の武器は左足|正確なキックとセービング

私が西川選手のプレーで最も印象に残っているのは、やはり左足のキックです。

相手の攻撃を防いだ直後、素早くボールを前方へ送る。

その一本のキックが、味方の攻撃につながる場面を何度も見てきました。

パントキックから始まる攻撃

西川選手のキックは、ただ遠くへ飛ばすだけではありません。

味方が走り込む位置を見ながら、低い弾道で正確にボールを届けることができます。

特に印象的なのは、ボールを手から離して蹴るパントキックです。

一般的なGKのパントキックは、高く大きく蹴り出す場面も多く見られます。

一方、西川選手は比較的低い軌道で、狙った味方へボールを届ける技術を持っています。

相手が攻撃を終えた瞬間、守備から攻撃へ切り替える。

GKのキックが攻撃の第一歩になることを、分かりやすく見せてくれる選手です。

そのキックを勉強したと鈴木彩艶が語っていましたね。

年齢を重ねて安定するセービング

浦和レッズの公式プロフィールでは、西川選手について、年齢を重ねるごとに安定してきたセービングや、中長距離のキック、起き上がりの早さが紹介されています。

若い頃の反射神経や身体能力だけに頼るのではなく、経験による判断も加わっているのでしょう。

GKにとって重要なのは、派手なセーブを見せることだけではありません。

相手のシュートコースを予測し、適切な位置に立ち、できるだけ無理のない動きでボールを止めること。

西川選手のプレーには、そうした経験の積み重ねを感じます。

西川周作が40歳まで第一線に立ち続けられる理由

40歳になってもJ1のゴールを守り続ける。

言葉にすると簡単ですが、実際には非常に難しいことです。

プロサッカーの世界では、若い選手が次々と台頭してきます。

GKも例外ではありません。

西川選手がこれほど長く第一線でプレーできている理由について、三つの要素があると考えられます。

技術を磨き続けてきたこと

一つ目は、キックとセービングの技術です。

身体能力には年齢による変化がありますが、判断力や技術は経験によって磨くことができます。

西川選手はもともと足元の技術に優れたGKですが、現在もその武器を生かしてプレーしています。

変化する戦術に対応してきたこと

二つ目は、チームの変化に対応してきたことです。

大分、広島、浦和と異なるクラブを経験し、浦和でも複数の監督の下でプレーしてきました。

GKに求められる役割も時代とともに変化しています。

かつてはシュートを止めることが中心だったGKも、現在ではビルドアップへの参加が重要になっています。

西川選手は、その変化に対応できる技術を持ち続けてきました。

経験を次の世代に伝える立場になったこと

三つ目は、ベテランとしての役割です。

浦和の公式プロフィールでは、2026/27シーズンにGK陣の顔ぶれが変わり、西川選手が若いGKたちへアドバイスする機会もあることが紹介されています。

人に技術を伝えるためには、自分自身のプレーを言葉にして整理する必要があります。

その過程が、西川選手自身の技術を見直す機会にもなっているのかもしれません。

40歳になっても成長しようとする姿勢。

よくある質問

西川選手について検索されている関連キーワードをもとに、プロフィールやプレーの特徴に関する疑問を整理しました。

まとめ|遠藤保仁の記録の先にある、西川周作の現在地

2026年10月31日、西川周作選手はJ1通算672試合出場を達成しました。

遠藤保仁さんが持つ歴代最多記録に並び、40歳でJ1の歴史に新たな足跡を残しました。

出典:Jリーグ公式サイト|西川周作 選手データ・出場履歴

大分トリニータで始まったキャリアは、サンフレッチェ広島、浦和レッズへと続いています。

長年にわたって磨き続けてきた左足のキックとセービング技術。

そして、監督やチームメートが変わっても第一線でプレーし続ける適応力。

その積み重ねが672試合という数字につながりました。

柏戦は0-4の敗戦となりましたが、西川選手の挑戦はまだ続きます。

次のJ1リーグ戦で出場を果たせば、歴代単独最多となる673試合に到達します。

40歳の守護神が、どこまで記録を伸ばしていくのか。

これからも、その歩みを見守りたいと思います。

そして、もう一つ。

西川選手は2022年、J1通算無失点試合数の歴代最多記録も樹立しています。

単に試合に出続けただけではなく、結果を残し続けてきたGKなのです。

出典:浦和レッズ公式サイト|西川周作 J1通算無失点試合数新記録樹立記念インタビュー

遠藤保仁さんの672試合という記録に並び、さらにその先へ進む日は近づいています。

しかし、その記録を達成したとしても、西川選手のキャリアがそこで終わるわけではありません。

次の試合でも、また次の試合でも、浦和のゴールを守る。

40歳の西川周作は、まだ自分自身の記録を更新し続けようとしています。

西川選手のキックは現在の日本代表守護神に受け継がれる。
鈴木彩艶の記事を読む。

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