前田大然と聞いて、最初に何を思い浮かべるでしょうか。
相手DFを置き去りにする足の速さ。
前線から猛烈に追い続ける運動量。
あるいは、坊主頭から一転してすっかり定着したロン毛かもしれません。
50mは何秒なのか。
100mならどれくらいなのか。
走行距離はどれほどなのか。
前田大然の「速さ」が気になるのは当然でしょう。
けれど、そのキャリアをたどっていくと、単に「足が速い選手」では説明できないことが分かってきます。
まだプロになる前、その才能に目を留めた人物がいました。
当時、松本山雅FCを率いていた反町康治監督です。
反町監督が見ていたのは、50mを何秒で走れるかという数字だけではありませんでした。
ダイアゴナルラン。
相手DFの背後へ斜めに走り込む、そのスピードとタイミングでした。
のちに日本代表として世界を相手に走り、セルティックでも強烈なプレッシングを武器にした前田大然。
その「走り」の原点をたどると、松本山雅で過ごした若き日に行き着きます。
前田大然の足の速さは?50m5秒7、最高速度35.32km/h
前田大然を語るうえで、足の速さは外せません。
「前田大然 50m」「前田大然 100m」「100m何秒」と検索する人が多いのも、試合中のスピードがそれだけ強烈だからでしょう。
前田の50mについては、手動計測ながら5秒7を記録したことがあると報じられています。
ただし、これは陸上競技の大会で計測された公式記録ではありません。
また、100mについては信頼できる実測記録を確認できませんでした。
50mが5秒7なら100mは11秒4。
そんなふうに単純計算したくなりますが、スタートから加速していく100m走とサッカーのスプリントでは条件が違います。
確認できない数字を作るより、実際の試合で記録された数字を見た方が、前田大然のすごさはよく分かります。
2021年のJ1で記録した最高速度は35.32km/h。
さらに同シーズンには1,457回のスプリントを記録し、J1最多となりました。
大分トリニータ戦では、1試合で64回ものスプリントを記録しています。
最高速度35.32km/hも十分に速い。
しかし筆者が驚くのは、むしろ1,457回という数字です。
前田大然の怖さは「一度だけ速く走れる」ことではありません。
走る。
止まる。
また走る。
相手がボールを動かせば、また追う。
ボールを奪えば、今度はゴールへ向かって走る。
それを繰り返します。
前田大然の走行距離が気になる人も多いでしょう。
ただ、総走行距離だけを見るより、これだけ高強度のスプリントを繰り返していることの方が、この選手の特徴をよく表しているように思います。
そして、ここで面白い話があります。
この「走り」に目をつけた人物は、前田が日本代表になるよりも、セルティックへ行くよりも、ずっと前にいました。
その人物が反町康治監督です。
前田大然と松本山雅の原点|反町康治監督が見抜いたダイアゴナルラン
2015年11月ごろ、前田大然は松本山雅FCの練習に約1週間参加しました。
当時の監督は反町康治さんです。
後に反町さんはJFAのコラムで、このときの前田について振り返っています。
反町監督の目に留まったのは、単純な足の速さではありませんでした。
ダイアゴナルランのスピードとタイミングです。
ダイアゴナルランとは、ピッチを真っすぐ縦に走るのではなく、相手DFの背後などを狙って斜めに走り込む動きです。
ただ速ければ成立するものではありません。
早過ぎればオフサイドになり、遅ければ相手DFに対応されます。
味方がボールを持った瞬間。
相手DFの位置。
空いているスペース。
それらを見ながら、最も効果的な瞬間に走り出す必要があります。
つまり反町監督が見つけたのは、「足の速い若者」だけではなかったのでしょう。
その速さを、サッカーの中で使える選手だった。
2021年に記録した最高速度35.32km/hや1,457回のスプリントを知ったあとで反町監督の言葉を読むと、さらに面白く感じます。
現在の前田大然につながるものを、まだプロになる前から見つけていたことになるからです。
ちなみに反町康治監督は、現役時代に横浜フリューゲルスでもプレーした選手です。

前田大然の原点をたどっていたら、こんなところでフリューゲルスにつながるとは。
横浜のサッカーを追ってきた筆者としては、ちょっとうれしくなる縁でした。
そして2015年12月、前田大然の松本山雅FC加入が発表されます。
加入時から本人が挙げていた持ち味も、やはりスピードでした。
しかし、プロの世界はそれだけで簡単に突破できるものではありませんでした。
松本山雅1年目は9試合0得点|水戸でつかんだ「自分はできる」
2016年、前田大然は松本山雅でプロ生活をスタートさせます。
高卒新人ながらJ2開幕戦で途中出場。
期待されてプロの世界へ飛び込んだものの、リーグ戦は9試合出場で0得点に終わりました。
翌2017年、前田は水戸ホーリーホックへ期限付き移籍します。
松本を離れる際には、成長して帰ってくるという決意を残しました。
そして、本当に大きく成長して帰ってきます。
水戸でのリーグ戦成績は36試合13得点。
松本で0得点だった選手が、一気に二桁得点を記録しました。
なかでも本人が転機として振り返っているのが、レノファ山口FC戦でのゴールです。
右サイドでボールを受け、相手DFをスピードで振り切ってゴール。
この得点によって「自分はできる」という自信を持てたと、後に前田自身が振り返っています。
ここでも、やはり「走り」でした。
プロ入りのきっかけになったのも走り。
水戸で自信をつかんだプレーにも走りがあった。

自身の強みを意識し、自信を持てたからこそ後の活躍があるんでしょうね。
古橋享梧にも見た「自信」が活躍の源になるというエピソードだと思います。
松本山雅へ帰還してJ2優勝|前田大然が「原点」と呼ぶクラブ
水戸で結果を残した前田大然は、2018年に松本山雅へ戻ります。
リーグ戦29試合7得点。
そして松本山雅はJ2優勝を果たし、J1昇格を決めました。
翌2019年にはJ1でプレー。
サガン鳥栖戦で決めたJ1初ゴールも、前田大然らしいものでした。
相手DFが処理できそうなボールに対して後方から一気に加速。
追いつき、奪い、そのままゴールへつなげました。
50mを何秒で走れるのか。
もちろん数字も気になります。
けれど試合を決めるのは、陸上競技場で測ったタイムではありません。
「そこに追いつくのか」
そう思ったボールに追いついてしまう。
前田大然の速さの怖さは、むしろこちらにあるのでしょう。
2019年にはポルトガルのCSマリティモへの期限付き移籍が決まります。
海外へ旅立つ直前、移籍報道が出ていた中で迎えたホームのサンフレッチェ広島戦。
サポーターから大きな声援を受けた前田は、その試合でゴールを決めました。
そして世界へ向かいます。
後に松本山雅を離れる際、前田はこのクラブを自分にとって「原点」であり「特別なチーム」と表現しています。
プロへの扉を開いてくれたクラブ。
結果が出なかった時期を経験したクラブ。
水戸へ送り出し、成長して帰ってきたクラブ。
J2優勝を経験したクラブ。
そして海外へ送り出してくれたクラブ。
前田大然にとって松本山雅が「かつて所属したクラブ」の一つではないことが分かります。
前田大然の走行距離が気になる|速さ以上にすごい「何度でも走る力」
前田大然は「走行距離」という言葉も検索されています。
これも納得できます。
試合を見ていると「いったい何回走るんだ」と思わされるからです。
一度相手GKへプレッシャーをかけて終わりではありません。
パスが出れば方向を変え、次の相手へ向かう。
攻撃になれば、今度はゴール方向へ走る。
ボールを失えば、また守備へ戻る。
速い選手はほかにもいます。
しかし、そのスピードを試合中に何度も使えることが前田大然の大きな特徴です。
2021年の1,457回というスプリント数は、その印象を数字にしたものともいえるでしょう。
走る距離。
走る回数。
そして走り出すタイミング。
反町監督がプロ入り前の前田に見たものを考えると、この3つは別々の能力ではないように感じます。
前田大然にとって「走る」とは、単に足を速く動かすことではないのでしょう。
前田大然の髪の毛はなぜロン毛に?きっかけは娘のひと言
プレーとは別の意味で、前田大然を検索すると目立つのが髪の毛です。
「前田大然 髪の毛」「髪型」「ロン毛」「坊主」。
髪に関する言葉がずらりと並びます。
以前の前田大然といえば、坊主頭のイメージが強烈でした。
ピッチを猛烈な勢いで走り回る姿と坊主頭。
遠目からでも「あれは前田大然だ」と分かるほど、ひとつのトレードマークになっていました。
ところが、その坊主をやめたきっかけはサッカーとはまったく関係ありません。
娘さんのひと言でした。
2024年3月の日本代表活動中、前田はもうすぐ5歳になる長女から坊主を嫌がられたことを明かしています。
娘には嫌われたくない。
そんなお父さんの気持ちから、髪を伸ばし始めました。
しかも娘さんに日本代表の集合写真を見せて「どんな髪型がいい?」と聞いたところ、選ばれたのは南野拓実でした。
世界を相手に猛烈なプレスをかけ続ける前田大然も、家に帰れば娘のひと言が気になるお父さんです。
さらに髪を金色にした理由にも、子どもたちが関係していました。
黒髪では遠くから分かりにくいため、スタンドから子どもたちが自分を見つけやすいように金髪にしたと前田は語っています。
坊主からロン毛へ。
そして金髪へ。
見た目だけを追えば大きなイメージチェンジですが、その理由を知ると印象は少し変わります。
ピッチでは誰よりも激しく相手を追いかける。
その髪型を変えた理由は、娘に嫌われたくなかったから。
前田大然の髪型がこれほど注目されるのは、単に珍しいからだけではないのかもしれません。

そこには、子ども思いの「優しいお父さん・前田大然」がいます。
セルティックで前田大然の走りは世界へ
ポルトガルへの海外挑戦を経験した前田大然は、その後Jリーグへ戻り、横浜F・マリノスでプレーしました。
2021年には23得点を記録。
得点王となり、ベストイレブンにも選ばれます。
松本で9試合0得点だった選手が、J1得点王になった。
その歩みを知っていると、この数字の見え方も少し変わります。
そして再び海外へ。
その舞台となったのがセルティックです。
セルティックで前田の名前が広く知られるようになった理由は、ゴールだけではありません。
前線から相手へ襲いかかるようなプレッシング。
相手DFやGKがボールを持った瞬間に距離を詰めるスピード。
そして一度かわされても、また走る運動量。
前田大然の「足の速さ」は、相手ゴールへ向かうためだけの武器ではなくなりました。
相手から時間を奪うための武器にもなったのです。
ここで思い出すのが、やはり反町康治監督の言葉です。
プロ入り前の前田を見て評価したのは、単純な直線の速さだけではありませんでした。
ダイアゴナルランのスピードとタイミング。
どこへ、いつ走るのか。
セルティックで見せた前田のプレッシングにも、同じものを感じます。
ただ全力疾走するのではなく、相手が嫌がる場所へ、嫌がる瞬間に走る。
松本山雅でプロになる前から持っていたものが、より大きな舞台で磨かれていったのでしょう。
前田大然の現在|変わったものと変わらないもの
前田大然のキャリアは、日本だけでは終わりませんでした。
松本山雅。
水戸ホーリーホック。
ポルトガルへの挑戦。
横浜F・マリノス。
セルティック。
日本代表としてワールドカップの舞台にも立ちました。
そして現在も、そのキャリアは続いています。
所属するクラブが変わり、戦う相手も変わりました。
髪型だって、坊主からロン毛へ大きく変わりました。
しかし、変わっていないものがあります。
走ることです。
しかも、ただ速く走ることではありません。
相手の背後へ走る。
ボールを追って走る。
相手へプレッシャーをかけるために走る。
味方のためにスペースを作るためにも走る。
前田大然という選手を説明するなら、50m5秒7という数字だけでは足りません。
その速さを「いつ、どこで使うか」。
そして、それを何度繰り返せるのか。
そこまで含めて、前田大然の走力なのだと思います。
前田大然の現在|新天地でも「走る」
松本山雅、水戸ホーリーホック、ポルトガルへの挑戦、横浜F・マリノス、そしてセルティック。
前田大然は2026年7月、新たな挑戦を選びました。
新天地はイプスウィッチ・タウン。
加入が決まったその日、前田は自身のXから新しいサポーターへメッセージを送りました。
そこで前田が約束したことの一つが、毎試合チームのために走ることでした。
なんとも前田大然らしい言葉です。
松本山雅の練習に参加した若き前田を見て、反町康治監督が目を留めたダイアゴナルラン。
水戸で「自分はできる」という自信につながった走り。
J1で記録した1,457回のスプリント。
セルティックで相手DFやGKを追い続けたプレッシング。
そして新しいクラブにやってきた前田大然が、最初にサポーターへ約束したことも「走る」でした。
所属するクラブが変わっても、前田大然を前田大然たらしめるものは、やはり変わっていないようです。
前田大然についてよくある質問
| 質問 | 回答 |
|---|---|
| 前田大然の50mは何秒? | 手動計測ながら50m5秒7を記録したことがあると報じられています。ただし、陸上競技大会での公式記録ではありません。 |
| 前田大然の100mは何秒? | 信頼できる100mの実測記録は確認できません。50mのタイムを単純に2倍して100mの記録とすることもできません。 |
| 前田大然の足の速さはどのくらい? | 2021年のJ1では最高速度35.32km/hを記録しています。同シーズンのスプリント数は1,457回でJ1最多でした。 |
| 前田大然と松本山雅の関係は? | プロ生活をスタートさせたクラブです。本人も後に松本山雅を自身の「原点」であり特別なチームと表現しています。 |
| 前田大然はなぜ坊主をやめてロン毛になった? | 長女から坊主を嫌がられたことが、髪を伸ばすきっかけでした。金髪にも、スタンドにいる子どもたちから見つけてもらいやすくするという理由がありました。 |
まとめ|前田大然の速さを最初に見つけた松本山雅
前田大然について調べ始めると、どうしても数字が気になります。
50mなら何秒なのか。
100mならどれくらいなのか。
最高速度は。
走行距離は。
しかし原点までたどってみると、もっと面白い話がありました。
プロ入り前に松本山雅の練習へ参加した前田を見た反町康治監督は、ダイアゴナルランのスピードとタイミングに目を留めました。
足が速い。
それだけではなかったのです。
速さをサッカーの中で使う能力を見ていた。
松本でプロになり、水戸で「自分はできる」という自信をつかみ、松本へ戻ってJ2優勝を経験する。
そこから海外へ飛び出し、J1得点王、セルティック、日本代表へと舞台を広げていきました。
坊主だった髪はロン毛になりました。
その理由をたどれば、娘に嫌われたくないというお父さんの顔まで見えてきます。
所属クラブも変わりました。
髪型も変わりました。
戦う国も変わりました。
それでも、前田大然を前田大然たらしめるものは変わっていません。
ボールが出る。
相手が一瞬迷う。
その瞬間には、もう前田大然が走り出している。
50m5秒7よりも、最高速度35.32km/hよりも、筆者にはその一歩目の方が前田大然らしく見えます。
まだ世界が前田大然を知らなかったころ。
松本山雅でその「走り」に目を留めた反町康治監督は、すでに未来につながるものを見つけていたのかもしれません。


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