齋藤俊輔の成績と移籍|水戸からベルギー、日本代表初先発まで

水戸からベルギーへ移籍し日本代表初先発を果たした齋藤俊輔 26-27 その他の海外リーグ

齋藤俊輔をちゃんと見ようと思っていたはずでした。

2026年9月28日、キリンチャレンジカップのベネズエラ戦。

A代表初招集の齋藤俊輔はいきなり先発に名を連ねました。

ところが試合が終わって振り返ってみると、私の中には齋藤のプレーがそれほど強く残っていませんでした。

後藤啓介のシュート、小久保玲央ブライアンのセーブ、中野就斗の積極的な攻め上がり。

試合を見ながら気になった場面はいくつもあったのですが、齋藤については十分に追えていなかったのです。

しかし、試合後の評価を見て「あれ?」となりました。

齋藤は前半だけでシュートを放ち、積極的にゴールへ向かい、守備でもアグレッシブな姿勢を見せていたと評価されています。

ならば、もう一度見てみたくなります。

そもそも齋藤俊輔は、なぜ21歳で日本代表までたどり着いたのでしょうか。

水戸ホーリーホックからベルギーへ。

そして欧州移籍からわずか8か月ほどでA代表初先発。

今回は、私がベネズエラ戦で見逃していた齋藤俊輔を、少し時間を巻き戻して追いかけてみます。

齋藤俊輔の成績|水戸で飛躍した21歳

齋藤俊輔は2005年4月26日生まれ、神奈川県出身のMFです。

SCH.FC、横浜F・マリノスプライマリー、横浜F・マリノスジュニアユースを経て桐光学園高校へ進み、2024年に水戸ホーリーホックへ加入しました。

水戸への加入が内定した際、本人が武器として挙げていたのが「ドリブル」と「右足のシュート」でした。

プロ入り前から、自分が何で勝負する選手なのかは明確だったようです。

高卒1年目の2024年はJ2リーグ16試合1得点。

そしてプロ2年目の2025年、一気に数字を伸ばします。

J2リーグ27試合に出場して8得点。

水戸はJ2優勝を果たし、クラブ史上初となるJ1昇格を決めました。

そのシーズンを支えた齋藤は、2025年のJ2ベストイレブンにも選出されています。

さらに、9月13日のベガルタ仙台戦で決めたゴールはJ2最優秀ゴール賞を受賞しました。

高卒2年目で27試合8得点。

攻撃的な選手として、数字でも存在感を示したシーズンだったことが分かります。

ただ、この時点で齋藤が思い描いていた未来は、現在とは少し違っていました。

齋藤俊輔はなぜベルギーへ移籍したのか

2026年1月、齋藤俊輔は水戸ホーリーホックからベルギーのKVCウェステルローへ完全移籍しました。

興味深いのは、もともと海外移籍だけを一直線に考えていたわけではないことです。

移籍時のコメントによると、2025年9月までは「水戸ホーリーホックでJ1を戦うこと」と「水戸の選手としてオリンピックに出ること」を目標にしていました。

その気持ちを変えたのが、2025年9月のU-20ワールドカップでした。

世界の舞台を経験したことで、できるだけ早くヨーロッパでプレーしたいという思いが強くなったと本人は説明しています。

水戸はこれからJ1を戦う。

そこでプレーする道もあったはずです。

それでも齋藤は、自分が見た世界との距離を縮めるためにベルギーへ向かいました。

世界と戦い、世界に目が向いた。
その決断はすごいなと感じました。

「海外へ行きたい」という漠然とした憧れではありません。

実際に世界大会へ行き、相手を見て、自分の現在地を知った。

その経験によって、それまで描いていたキャリアを変更したのです。

20歳で自分の進む道を変える決断でした。

ウェステルローでも結果を残した齋藤俊輔

2026年1月にウェステルローへ加入すると、齋藤はベルギーで経験を積んでいきます。

移籍直後の2025-26シーズンはリーグ戦とプレーオフで出場を重ね、4月25日のアントワープ戦ではベルギーでの初得点も記録しました。

そして2026-27シーズン、数字がさらに伸びます。

9月20日のシント=トロイデン戦終了時点で、リーグ戦7試合3得点。

8月30日のズルテ・ワレヘム戦で1得点、9月5日のメヘレン戦では2得点を決めています。

特にメヘレン戦では2ゴールを記録し、マン・オブ・ザ・マッチにも選ばれました。

水戸で結果を残してベルギーへ行っただけではありません。

ベルギーへ渡ったあとも出場機会をつかみ、さらに結果を残したところで日本代表から声がかかりました。

JFAが9月の代表メンバーを発表した際、齋藤はSAMURAI BLUE初招集の一人として名前を連ねています。

2025年はJ2。

2026年1月にベルギー。

そして同年9月には日本代表。

こうして時系列に並べると、改めてそのスピードに驚きます。

齋藤俊輔のプレースタイル|ドリブルと右足だけではない

齋藤本人がプロ入り前から武器として挙げていたのは、ドリブルと右足のシュートです。

ベネズエラ戦でも、その特徴は出ていました。

左シャドーで先発すると、カットインからシュートを狙い、周囲とのコンビネーションから背後へ抜け出す場面も作っています。

ただ、今回の代表戦後の言葉を追っていくと、単純に「ボールを持ったら仕掛ける選手」というわけでもなさそうです。

前半にはボールを持って前を向きながら、あえて仕掛けずにキープした場面がありました。

前方に味方が少ない状況で、無理に突破を狙ってボールを失うリスクまで考えての選択だったと本人は説明しています。

これは面白いところです。

ドリブルが武器だから、いつでもドリブルする。

シュートが武器だから、前を向いたら必ず打つ。

そうではありません。

自分が目立つことよりも、その場面でチームにとって何がいいのかを考える。

一方で、それだけでは日本代表で攻撃の違いを作る選手にはなれないことも、本人は今回の試合で感じたようです。

その答えを目の前で見せたのが、後半から出場した伊東純也でした。

日本代表初招集から、いきなり先発デビューへ

2026年9月、齋藤俊輔は初めてSAMURAI BLUEに招集されました。

9月24日のウルグアイ戦では出場機会がありませんでしたが、4日後のベネズエラ戦で先発メンバーに入りました。

背番号は29。

日本は3-4-2-1でスタートし、齋藤は左シャドーに入りました。

1トップは後藤啓介。もう一人のシャドーには佐藤龍之介。

齋藤だけでなく、小久保玲央ブライアン、中野就斗、熊坂光希もこの試合がA代表デビューでした。

初招集。

初出場。

しかも途中からではなく、最初からピッチに立ちます。

齋藤は試合後、「やってやろう」という気持ちで入ったこと、自分のところで結果を残したかったことを話しています。

その言葉通り、前半には自分からゴールへ向かう姿勢を見せました。

しかし得点には届かず、ハーフタイムで交代します。

代表デビューは45分間。

数字だけなら、0得点0アシストです。

けれど、その45分間を試合後にもう一度見てみると、私がリアルタイムで感じていたものとは少し違って見えてきました。

ベネズエラ戦で見えた齋藤俊輔|私が見逃していたもの

正直に言えば、私は試合中、齋藤俊輔のプレーを十分に追えていませんでした。

決定的なゴールがあったわけではありません。

派手なアシストがあったわけでもありません。

だから私の観戦メモの中でも、齋藤の名前はそれほど目立っていませんでした。

ところが試合後の評価を確認すると、前半にシュートを放ち、積極的に仕掛け、守備でもアグレッシブだったことが評価されています。

さらに本人の試合後コメントまで読むと、ただ闇雲に仕掛けていたわけでもありません。

行くところ。

行かないところ。

その判断まで考えながらプレーしていました。

そして後半、ベンチから伊東純也のプレーを見ます。

日本は後半開始直後に先制を許しましたが、その直後、伊東が左サイドからクロスを送り、上田綺世が同点ゴールを決めました。

齋藤自身も、伊東が入ったことで攻撃のクオリティや周囲との関係性が変わったことを感じたと話しています。

そして、自分には「一人で、自分で試合を変える力」がもっと必要だと振り返りました。

この言葉を読んで、私はようやく今回の齋藤の代表デビューが少し見えた気がしました。

初代表で何もできなかったわけではありません。

自分の武器も出しました。

シュートにも行きました。

守備でも動きました。

それでも、後半から入った日本代表の主力選手は、実際にゴールを生み出すプレーをしました。

「悪くなかった」で満足するのではなく、その差を本人が感じています。

私が試合中に齋藤を強く意識できなかったことも、あながち記事を書くうえでは無駄ではなかったのかもしれません。

なぜ強烈に記憶へ残らなかったのか。

その答えの一つを、本人自身が試合後に語っていました。

次は「出ていた選手」ではなく、「試合を変えた選手」として記憶に残れるか。

齋藤俊輔のA代表は、そこから始まったように思います。

水戸からベルギー、そして日本代表へ|齋藤俊輔はどこまで行くのか

2024年、水戸ホーリーホックでプロ生活をスタート。

2025年、J2で27試合8得点を記録してJ2ベストイレブンに選ばれました。

U-20ワールドカップで世界を経験し、それまで描いていたキャリアを変更。

2026年1月、ベルギーのウェステルローへ移籍しました。

そして9月、日本代表初招集。

ベネズエラ戦でA代表初出場、初先発を果たしました。

まだ21歳です。

今回の45分だけで、代表選手としての評価を決める必要はないでしょう。

むしろ私が気になったのは、初代表を終えた直後に、自分と伊東純也との違いを見ていたことでした。

水戸にいたときもそうでした。

U-20ワールドカップで世界を見て、自分の進む道を変えました。

今度はA代表のピッチとベンチから、日本代表で試合を変える選手のプレーを見ました。

見たものを、自分の次へつなげていく。

それを繰り返して、わずかな期間で水戸からベルギー、日本代表まで来た選手なのかもしれません。

ベネズエラ戦を見ていた私は、齋藤俊輔をちゃんと見られていませんでした。

だからこそ、次に代表で背番号29を見つけたときは、もう少し意識して追いかけてみたいと思います。

そのときは、こちらが探さなくても目に飛び込んでくるプレーを見せてくれるでしょうか。

21歳の代表デビューは、まだ最初の45分です。

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