坂元達裕の成績と現在|大ケガを乗り越えランパードとプレミアへ

坂元達裕の現在の全身像とコベントリーでのプレーシーンを描いたアイキャッチ 26-27 プレミアリーグ

あのケガのニュースを覚えています。

2024年2月、コベントリーでプレーしていた坂元達裕選手が、空中戦のあと背中からピッチへ落下しました。

担架で運び出され、その後に伝えられたのは腰椎の横突起3本を骨折する大ケガでした。

復帰まで8〜10週間を要するとされ、好調だったシーズンはそこで終わってしまいます。

当時の坂元選手は、イングランド2部で7得点を挙げていました。

日本人選手が海外で活躍するニュースを楽しみにしていただけに、「ここまで調子がよかったのに」と残念に思った記憶があります。

ところが、坂元選手の物語はそこで止まりませんでした。

復帰後にもケガに苦しみながら、フランク・ランパード監督との出会いをきっかけに再び右サイドで存在感を発揮。

2025-26シーズンには7得点3アシストを記録し、コベントリーのプレミアリーグ昇格に貢献しました。

そして2026年8月29日、ついにプレミアリーグのピッチに立っています。

あの大ケガから、どうやってここまでたどり着いたのでしょうか。

坂元達裕選手の成績を追いながら、ケガ、ランパード監督との出会い、プレースタイル、そして日本代表について見ていきます。

坂元達裕の現在と成績|コベントリーからプレミアリーグへ

坂元達裕選手は現在、イングランドのコベントリー・シティに所属しています。

前橋育英高校から東洋大学へ進み、2019年にモンテディオ山形でプロとして本格的なキャリアをスタート。

その後はセレッソ大阪、ベルギーのオーステンデを経て、2023年夏にコベントリーへ加入しました。

大学時代には、2019年から山形へ加入することがJFAの記録にも残っています。

主なリーグ戦成績を見ると、坂元選手が一段ずつステップアップしてきたことが分かります。

山形、セレッソ大阪、オーステンデ、コベントリーでの数字は各種記録でも確認できます。

2025-26シーズンは35試合7得点3アシストを記録しました。

特に目を引くのが、コベントリー加入1年目の7得点です。

2024年1月30日のブリストル・シティ戦で7点目を決めた時点では10試合連続先発。

チームも昇格プレーオフ圏の6位につけていました。

その勢いを止めたのが、冒頭で触れた大ケガでした。

坂元達裕を襲った大ケガ|腰椎3本骨折から復帰するまで

2024年2月23日のプレストン戦。

空中戦で競り合った坂元選手は、背中からピッチへ落下して腰を強打しました。

その場から担架で運び出され、病院へ搬送。

当初は骨盤骨折や脊椎損傷の可能性も伝えられるほどでした。

その後、腰椎の横突起3本を骨折していたことが判明します。

復帰には8〜10週間が必要とされ、2023-24シーズンの残り試合を欠場することになりました。

印象的なのは、その直後のFAカップです。

メードストーン戦で先制ゴールを決めたエリス・シムズ選手が、坂元選手の背番号7のユニフォームを掲げました。

試合前から「誰が決めても彼にゴールを捧げよう」とチームで話していたといいます。

加入1年目でありながら、すでに仲間からそれだけ大切にされる存在になっていたのでしょう。

約半年後、坂元選手は2024-25シーズン開幕戦で公式戦に復帰します。

しかし、これで終わりではありませんでした。

復帰から3試合後には足首を負傷。

さらに再復帰後、ようやく先発した試合では脚を切り、8針を縫う裂傷を負って前半10分で交代しています。

治っては止まり、戻ってはまた止まる。

本人は後に、うまくいかない時期を何度ももがきながら乗り越えてきたと振り返っています。

そんな坂元選手に、ひとつの転機が訪れました。

ランパード監督との出会い|坂元達裕に何が変わったのか

2024年11月、コベントリーの監督に就任したのがフランク・ランパード氏です。

チェルシーやイングランド代表で活躍した名選手ですが、坂元選手にとって重要だったのは、その名前の大きさだけではありません。

ランパード監督は基本的に4バックを採用しました。

大ケガから復帰した坂元選手は、それまで3バックのシステムのなかで自分の特徴を出しにくい状況も経験していました。

新体制では再び右ウイングでプレーする機会が増えていきます。

右サイドで重要な存在となったのが、右サイドバックのミラン・ファン・エヴァイク選手です。

坂元選手はファン・エヴァイク選手と連係しながら、自分の持ち味であるドリブルやクロスを生かしていきました。

一方、ランパード監督について坂元選手は、守備面や攻撃面について多くのことを教えてもらっていると語っています。

そしてランパード監督の下で、攻撃とは別の坂元選手の強みも評価されるようになります。

それが守備です。

2025-26シーズンの坂元選手について、ランパード監督は「タツのプレスのかけ方は、チームで一番だ」と評価しています。

2024-25シーズン、コベントリーは昇格プレーオフ準決勝で敗退しました。

しかし翌2025-26シーズンには、坂元選手が35試合7得点3アシストを記録。

コベントリーはついにプレミアリーグ昇格を決めました。

坂元選手自身が「サッカー人生のベストシーズン」と振り返ったのも納得できます。

ただし、ここでも最後まで順風満帆ではありません。

2026年4月6日のハル・シティ戦では肋骨を負傷。

プレミア昇格が決まったブラックバーン戦には出場できませんでした。

ケガに始まり、最後にもまたケガ。

それでも、今度はチームとともにプレミアリーグまでたどり着きました。

坂元達裕のプレースタイル|ドリブルだけではない強み

坂元選手といえば、やはり右サイドからのドリブルが印象に残ります。

左利きの右ウインガーで、相手と向き合いながら縦への突破と内側への切り返しを使い分けます。

本人も日本代表に招集された2021年、自分の強みについて、相手の守備や状況を見ながら中へ行くのか縦へ突破するのかを選べることだと説明しています。

鋭い切り返しから前へ運び、クロスを入れる。

内側へ入れば左足からシュートも狙えます。

2023-24シーズンに7得点を挙げられたのも、単にタッチライン際でチャンスを作るだけではなく、自らゴールへ向かう意識が高まったことが大きかったように感じます。

7点目を決めた際にも、本人はボールを持ったらまずゴールを見ることを意識していると語っていました。

そして、もうひとつ見逃せないのが運動量です。

攻撃から守備へ切り替われば、プレスバックやチェイシングを怠りません。

現地では坂元選手がボールを奪うプレーにも歓声が起こるといいます。

だからこそ、攻撃陣にもハードワークを求めるランパード監督と噛み合ったのでしょう。

「ドリブルのうまい右ウインガー」だけでは、坂元達裕という選手を十分には表せないのかもしれません。

坂元達裕はなぜ日本代表に定着していないのか

坂元選手は日本代表経験もあります。

2021年3月、森保一監督によってSAMURAI BLUEへ初招集されました。

しかし、このときはケガによって途中離脱しています。

同年6月に再び招集され、今度は代表のピッチに立ちました。JFAの当時のメンバー表にも坂元選手の名前が確認できます。

このとき本人が話していた言葉も印象的です。

前回はケガで辞退する悔しい思いをしたため、今度こそ結果を残したい。

そして、自分は「這い上がってきた」選手だからこそ、代表で結果を残すことで若い選手に夢や希望を与えたいと語っていました。

その後は代表に定着していません。

ただ、「代表に選ばれない理由」をひとつに決めるのは難しいでしょう。

代表のウイングには多くの候補がおり、監督が求める役割や選手のコンディションによって選考も変わります。

一方で坂元選手自身は、海外でキャリアを積み重ねてきました。

そして29歳で、とうとうプレミアリーグまでたどり着きました。

2026年8月29日のハル・シティ戦。

後半14分から出場し、坂元選手はプレミアリーグデビューを果たしています。

代表に再び選ばれるかどうかは分かりません。

それでも、2021年に日本代表で語った「這い上がってきた」という言葉は、むしろ今の坂元選手にこそ似合うように思えます。

坂元達裕についてよくある質問

大ケガを越えてプレミアへ|坂元達裕のこれから

2024年2月のニュースを見たとき、私の記憶に残ったのは「坂元達裕が大ケガをした」ということでした。

あれから約2年半。

腰椎の横突起3本を骨折し、復帰したと思えば足首を痛め、さらに8針を縫うケガまで経験しました。

それでも右サイドへ戻りました。

ランパード監督に自分の長所を伝え、ドリブルやクロスだけではなく、守備で走ることでも信頼を勝ち取りました。

そして2025-26シーズンには7得点3アシスト。

コベントリーとともにプレミアリーグ昇格を果たし、2026年8月には実際にそのピッチへ立ちました。

こうして成績を時系列で追ってみると、7得点という同じ数字でも見え方が変わります。

2023-24シーズンの7得点は、大ケガによって突然止まった数字でした。

2025-26シーズンの7得点は、そこから何度も立ち上がってたどり着いた数字です。

「あのケガのニュースを覚えています」。

私にとって坂元達裕という選手の記憶は、そこから始まりました。

次に記憶に残るのは、プレミアリーグで躍動する姿なのか。

それとも、もう一度日本代表のユニフォームを着る姿なのか。

ここまで何度も這い上がってきた選手です。

まだ、その続きを見ていたいと思います。

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