ブンデスリーガ日本人選手の歴史|香川真司・内田篤人が輝いた2010年代

2010年代のファッションに身を包んだ香川真司と内田篤人。背景にドルトムントとシャルケ時代のプレーシーンを描いたイラスト 海外リーグの記憶

日本人選手がドイツへ渡ること自体がニュースだった時代から、ドイツの強豪クラブで日本人選手が活躍する時代へ。

2010年代のブンデスリーガは、日本サッカーにとって大きな転換期でした。

その象徴が、ボルシア・ドルトムントの香川真司と、シャルケ04の内田篤人です。

同じルール地方を本拠地とするライバルクラブに、二人の日本代表選手が所属していました。

ドルトムントの黄色とシャルケの青。

ルールダービーは、日本のサッカーファンにとっても特別な一戦になりました。

もちろん、2010年代の主役は二人だけではありません。

岡崎慎司はマインツでゴールを重ね、長谷部誠はフランクフルトで信頼を築きました。清武弘嗣、酒井高徳、大迫勇也、原口元気らも、それぞれのクラブで存在感を示しています。

この記事では、2010年1月から2019年12月までを対象に、ブンデスリーガ1部でプレーした日本人選手を中心として、2部リーグでの挑戦や出場機会に恵まれなかった選手の足跡も振り返ります。

記録に残る優勝やゴールだけでなく、当時の日本人選手たちがドイツでどのような時間を過ごしていたのか。その記憶をたどっていきます。

  1. 2010年代のブンデスリーガは日本人選手が輝いた時代
    1. 2000年代の挑戦から、ドイツで結果を残す時代へ
    2. 香川真司と内田篤人が象徴する黄金期
  2. 香川真司|ドルトムントの連覇を支えた日本人アタッカー
    1. 2010年のドルトムント移籍と衝撃のデビュー
    2. 2010-11、2011-12シーズンのリーグ連覇
  3. 内田篤人|シャルケで愛された日本人サイドバック
    1. 鹿島アントラーズからシャルケへ
    2. チャンピオンズリーグと怪我との戦い
  4. 岡崎慎司と長谷部誠|ドイツで信頼を勝ち取った日本人選手
    1. 岡崎慎司がマインツで残した得点記録
    2. 長谷部誠が積み重ねたブンデスリーガでの実績
  5. ドイツ各地で活躍した日本人選手たち
    1. 清武弘嗣・乾貴士が見せた攻撃の技術
    2. 酒井高徳・酒井宏樹のブンデスリーガ挑戦
    3. 大迫勇也・原口元気・武藤嘉紀の存在感
  6. 2010年代にブンデスリーガ1部でプレーした日本人選手一覧
  7. ブンデスリーガ2部で挑戦した日本人選手と出場機会に恵まれなかった選手
    1. 2部リーグからドイツでのキャリアを築いた選手
    2. 短期間の挑戦と限られた出場機会
  8. 鎌田大地・遠藤航へ|2010年代の終わりと次の世代
    1. フランクフルトに加入した鎌田大地
    2. 遠藤航がシュトゥットガルトで歩み始めたドイツでのキャリア
  9. よくある質問(Q&A)
  10. まとめ|2010年代、日本人選手はブンデスリーガの風景を変えた

2010年代のブンデスリーガは日本人選手が輝いた時代

2000年代の挑戦から、ドイツで結果を残す時代へ

1970年代、奥寺康彦がドイツで切り開いた道は、1980年代、1990年代の挑戦者たちへと受け継がれました。

2000年代には高原直泰がフランクフルトで得点を重ね、長谷部誠はヴォルフスブルクで2008-09シーズンのリーグ優勝を経験しました。

そして2010年代、日本人選手の存在感はさらに大きくなります。

強豪クラブで優勝を争う選手、チャンピオンズリーグで戦う選手、残留争いのなかでチームを支える選手。

日本人選手の活躍する場所は、ブンデスリーガのさまざまなクラブへと広がりました。

特定のスター選手だけが注目される時代ではなく、毎週のようにドイツ各地から日本人選手のニュースが届く時代になったのです。

香川真司と内田篤人が象徴する黄金期

2010年、香川真司はセレッソ大阪からドルトムントへ、内田篤人は鹿島アントラーズからシャルケ04へ移籍しました。

この二つのクラブは、ドイツでも屈指のライバル関係にあります。

両クラブが対戦するルールダービーは、地域の誇りを懸けた一戦です。

その舞台で、日本人選手が両チームの一員としてピッチに立つようになりました。

香川は攻撃の中心としてゴールを狙い、内田は右サイドバックとして相手の攻撃を防ぎながら前線を支援します。

同じ2010年にドイツへ渡った二人が、異なるクラブでそれぞれの居場所を築いていきました。

2010年代のブンデスリーガを振り返るとき、この二人の姿は外せません。

香川真司|ドルトムントの連覇を支えた日本人アタッカー

2010年のドルトムント移籍と衝撃のデビュー

2010年夏、香川真司はセレッソ大阪からボルシア・ドルトムントへ移籍しました。

当時のドルトムントを率いていたのは、ユルゲン・クロップ監督です。

前線から激しくボールを奪い、奪った瞬間に攻撃へ転じるサッカー。

そのなかで、香川の俊敏性や判断の速さが生かされました。

香川の名前を一気に広めた試合の一つが、2010年9月19日のシャルケ戦です。

敵地で行われたルールダービーで、香川は2ゴールを記録しました。

ドイツに渡って間もない日本人選手が、ライバルとの大一番で2得点。

ドルトムントのサポーターにとっても、忘れられない活躍だったはずです。

この試合で香川は、単なる期待の新戦力から、チームの攻撃を担う選手へと評価を高めました。

2010-11、2011-12シーズンのリーグ連覇

香川が所属したドルトムントは、2010-11シーズンのブンデスリーガを制覇しました。

香川自身はシーズン途中に負傷し、長期離脱を経験しています。

それでも、前半戦に残したインパクトは大きなものでした。

翌2011-12シーズンには、ブンデスリーガとDFBポカールの国内二冠を達成します。

香川はリーグ戦31試合で13得点を記録し、攻撃の中心選手として優勝に貢献しました。

2012年夏にはマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。

その後、2014年にドルトムントへ復帰しています。

2010年代の香川を象徴するのは、やはりクロップ監督のもとで躍動した姿でしょう。

黄色いユニフォームを着て、相手守備陣の間に入り込み、素早い動きからゴールを奪う。

あの香川の姿は、ブンデスリーガにおける日本人選手の歴史を語るうえで欠かせない記憶です。

出典:ブンデスリーガ公式|2011-12シーズンのドルトムント

出典:ブンデスリーガ公式|歴代優勝クラブ

この頃の優勝記録を見るとレヴァンドフスキの活躍がクローズアップされますね。

内田篤人|シャルケで愛された日本人サイドバック

鹿島アントラーズからシャルケへ

香川と同じ2010年、内田篤人もドイツへ渡りました。

移籍先はシャルケ04です。

鹿島アントラーズでJリーグ3連覇を経験した内田は、シャルケでも右サイドバックとして出場機会を増やしていきます。

内田のプレーは、派手なドリブル突破や強烈なシュートが中心ではありません。

相手の動きを読み、味方との距離を保ち、攻撃に参加するタイミングを見極める。

右サイドでの判断力と連係が持ち味でした。

特にジェフェルソン・ファルファンとの右サイドのコンビネーションは、シャルケ時代を象徴するものです。

ファルファンが前へ仕掛け、内田が後方から支える。

必要な場面では内田自身もオーバーラップして攻撃に加わりました。

チャンピオンズリーグと怪我との戦い

内田がシャルケで残した大きな実績の一つが、2010-11シーズンのUEFAチャンピオンズリーグベスト4進出です。

シャルケは決勝トーナメントでバレンシア、インテルを破り、準決勝へ進出しました。

インテルとの準々決勝では、前年の欧州王者を相手に2試合合計7-3で勝利しています。

日本人選手が欧州最高峰の大会で準決勝まで勝ち進む姿は、当時の日本サッカーにとって大きな出来事でした。

しかし、内田のドイツでのキャリアは順調なことばかりではありません。

膝の負傷によって長期離脱を余儀なくされ、2017年にはシャルケを離れてウニオン・ベルリンへ移籍しました。

2018年には鹿島アントラーズへ復帰しています。

シャルケのサポーターに愛された内田の姿には、成績だけでは測れない価値がありました。

香川がゴールでドルトムントを沸かせたなら、内田は右サイドで積み重ねたプレーと人柄によって、シャルケに自分の居場所を築いた選手だったと思います。

岡崎慎司と長谷部誠|ドイツで信頼を勝ち取った日本人選手

岡崎慎司がマインツで残した得点記録

2011年、岡崎慎司は清水エスパルスからシュトゥットガルトへ移籍しました。

日本代表では豊富な運動量と献身的な守備で知られていた岡崎ですが、ドイツでは得点力も示していきます。

転機となったのが、2013年のマインツ移籍です。

マインツではセンターフォワードとして起用される機会が増え、2013-14シーズンにはリーグ戦15得点を記録しました。

さらに2014-15シーズンも12得点を挙げています。

2シーズン連続の二桁得点は、岡崎がブンデスリーガでストライカーとして評価を高めた証しでした。

2015年にはイングランドのレスター・シティへ移籍します。

翌2015-16シーズン、レスターはプレミアリーグで奇跡的な優勝を成し遂げました。

その快挙に至る前、岡崎がドイツで磨いていたのは、前線で戦い続けながらゴールを奪う力だったのです。

長谷部誠が積み重ねたブンデスリーガでの実績

長谷部誠のドイツでのキャリアは2008年に始まりました。

ヴォルフスブルクでリーグ優勝を経験した長谷部は、その後ニュルンベルクを経て、2014年にアイントラハト・フランクフルトへ移籍しました。

2010年代の長谷部は、経験豊富な中盤の選手から、守備組織を支える存在へと役割を広げていきます。

フランクフルトでは、リベロとして最終ラインの中央を務めることもありました。

相手の攻撃を読み、味方の位置を調整し、後方から試合を組み立てる。

目立つ得点やアシストがなくても、チームに欠かせない選手として信頼を積み重ねました。

2017-18シーズンには、DFBポカールで優勝しています。

決勝の相手はバイエルン・ミュンヘン。

フランクフルトは3-1で勝利し、タイトルを獲得しました。

2000年代から続く長谷部の挑戦は、2010年代に入っても終わりませんでした。

むしろ、この時代にこそ、長谷部がドイツで長くプレーできた理由が見えてきます。

ドイツ各地で活躍した日本人選手たち

清武弘嗣・乾貴士が見せた攻撃の技術

2010年代には、日本人の攻撃的MFもブンデスリーガで存在感を示しました。

清武弘嗣は2012年にセレッソ大阪からニュルンベルクへ移籍しました。

セットプレーの精度と攻撃を組み立てる技術を武器に、ニュルンベルク、ハノーファーでプレーしています。

乾貴士は2011年にボーフムへ移籍し、ドイツでのキャリアを始めました。

2012年にはフランクフルトへ加入。ドリブルと細かなボールタッチで相手をかわすプレーを見せました。

清武と乾は、ともにセレッソ大阪でプレーした経験を持つ選手です。

ドイツでも日本人選手らしい技術を発揮しながら、それぞれ異なる形で攻撃に関わりました。

酒井高徳・酒井宏樹のブンデスリーガ挑戦

酒井高徳は2012年にアルビレックス新潟からシュトゥットガルトへ移籍しました。

その後、ハンブルガーSVでもプレーし、キャプテンを務めた時期があります。

左右両サイドでプレーできる対応力は、ドイツで長く戦ううえで大きな武器となりました。

酒井宏樹は2012年に柏レイソルからハノーファーへ移籍しました。

高さと身体能力を備えた右サイドバックとして経験を重ね、2016年にはフランスのマルセイユへ移籍しています。

同じ酒井という名字を持ち、日本代表でもプレーした二人のサイドバック。

2010年代のドイツでは、二人がそれぞれのクラブで戦っていました。

大迫勇也・原口元気・武藤嘉紀の存在感

大迫勇也は2014年に鹿島アントラーズから1860ミュンヘンへ移籍しました。

当時の1860ミュンヘンはブンデスリーガ2部所属です。

その後、1部のケルンへ移籍し、2018年にはブレーメンへ加入しました。

前線でボールを収め、味方を生かすプレーは、ドイツでも大迫の持ち味となりました。

原口元気は2014年に浦和レッズからヘルタ・ベルリンへ移籍しました。

スピードと運動量を生かしてプレーし、2018年にはデュッセルドルフへの期限付き移籍を経験。その後、ハノーファーへ加入しました。

武藤嘉紀は2015年にFC東京からマインツへ移籍しました。

ブンデスリーガでは2015-16シーズンに7得点、2017-18シーズンに8得点を記録しています。

2018年にはニューカッスルへ移籍しました。

日本人選手がドイツで活躍する形は、決して一つではありません。

得点を奪う選手、攻撃を組み立てる選手、守備でチームを支える選手。それぞれの役割を持つ日本人選手が、ブンデスリーガの各クラブに所属していました。

出典:ブンデスリーガ公式|日本人選手とブンデスリーガの歴史

こうしてみると、神戸御三家が全員ドイツ経験があることが興味深いです。

2010年代にブンデスリーガ1部でプレーした日本人選手一覧

香川真司や内田篤人のように、強豪クラブで大きな実績を残した選手がいる一方、限られた出場機会のなかで挑戦を続けた選手もいました。

ここでは、2010年1月から2019年12月までにブンデスリーガ1部で公式戦出場を経験した日本人選手を整理します。

※所属クラブは2010年代に1部でプレーしたクラブを記載しています。
2部での所属歴は次の章で扱います。

この一覧からも、日本人選手の活躍がドイツ各地へ広がっていたことが分かります。

ドルトムントやシャルケのような強豪クラブだけでなく、残留争いを続けるクラブや昇格したばかりのクラブでも、日本人選手はそれぞれの役割を求められていました。

また、所属したすべての選手が十分な出場機会を得られたわけではありません。

その違いも含めて振り返ることが、2010年代の日本人選手の歴史を知るうえで大切です。

ブンデスリーガ2部で挑戦した日本人選手と出場機会に恵まれなかった選手

2部リーグからドイツでのキャリアを築いた選手

ブンデスリーガの歴史を振り返る際、1部リーグだけに目を向けると見落としてしまう選手がいます。

その一人が宮市亮です。

宮市は2015年にアーセナルからザンクトパウリへ移籍しました。

ドイツでは度重なる膝の負傷に苦しみましたが、復帰を目指しながら2部リーグでプレーを続けています。

大迫勇也も2014年、2部の1860ミュンヘンからドイツでのキャリアを始めました。

その後、ケルンで1部の舞台に立っています。

浅野拓磨は2016年にシュトゥットガルトへ期限付き移籍しました。

当時のクラブは2部所属で、浅野は2016-17シーズンの1部昇格に貢献しました。

遠藤航が2019年に加入したシュトゥットガルトも、当時は2部で戦っていました。

1部で活躍する選手だけでなく、2部から上の舞台を目指す選手たちも、ドイツにおける日本人選手の歴史を支えていたのです。

出典:ブンデスリーガ公式|ザンクトパウリでプレーした日本人選手

短期間の挑戦と限られた出場機会

2010年代には、ドイツへ渡りながらも、十分な出場機会を得られなかった選手がいました。

槙野智章は2011年にケルンへ移籍しましたが、定位置の確保には至りませんでした。

大津祐樹も2011年にボルシアMGへ移籍したものの、トップチームでの出場は限られました。

金崎夢生は2013年にニュルンベルクへ加入しましたが、ドイツでのプレー期間は短いものでした。

丸岡満は2014年にドルトムントのトップチームでブンデスリーガデビューを果たしています。

強豪クラブで公式戦に出場したという経験は、出場試合数だけでは測れないものです。

また、山口蛍は2016年にハノーファーへ移籍しましたが、同年夏にはセレッソ大阪へ復帰しました。

海外挑戦には、出場機会だけでなく、生活環境やチーム事情、本人の判断など、さまざまな要素が関わります。

長くドイツに残った選手だけが挑戦者だったわけではありません。

短い期間であっても、ブンデスリーガのピッチに立った日本人選手たちの足跡は、歴史の一部として残っています。

鎌田大地・遠藤航へ|2010年代の終わりと次の世代

フランクフルトに加入した鎌田大地

2017年、鎌田大地はサガン鳥栖からアイントラハト・フランクフルトへ移籍しました。

加入当初は出場機会が限られ、2018-19シーズンにはベルギーのシント=トロイデンへ期限付き移籍しています。

ベルギーで得点を重ねた鎌田は、2019年にフランクフルトへ復帰しました。

この時期の鎌田は、まだドイツで確固たる地位を築いた選手ではありませんでした。

しかし、その後の飛躍につながる経験を積み重ねていた時期でもあります。

2021-22シーズンのUEFAヨーロッパリーグ優勝は、次の2020年代編で取り上げるべき大きな出来事です。

遠藤航がシュトゥットガルトで歩み始めたドイツでのキャリア

2019年、遠藤航はシント=トロイデンからシュトゥットガルトへ期限付き移籍しました。

当時のシュトゥットガルトは2部に降格しており、遠藤のドイツでの挑戦は昇格を目指すチームから始まりました。

2019年の段階では、後にチームの主将となり、リヴァプールへ移籍する未来はまだ実現していません。

しかし、2010年代の終わりにドイツへ渡った遠藤は、次の時代を象徴する日本人選手の一人となっていきます。

香川真司と内田篤人が2010年にドイツへ渡り、鎌田大地と遠藤航が2010年代の終盤に新たな挑戦を始める。

その流れを振り返ると、ブンデスリーガにおける日本人選手の歴史が、途切れることなく次の世代へ受け継がれてきたことが見えてきます。

よくある質問(Q&A)

まとめ|2010年代、日本人選手はブンデスリーガの風景を変えた

2010年代のブンデスリーガには、さまざまな日本人選手の姿がありました。

ドルトムントの黄色いユニフォームでゴールを奪った香川真司。

シャルケの青いユニフォームで右サイドを駆け上がった内田篤人。

マインツで得点を重ねた岡崎慎司。

フランクフルトで経験と戦術理解を武器に信頼を築いた長谷部誠。

そして、ドイツ各地で挑戦を続けた数多くの日本人選手たち。

1970年代に奥寺康彦が切り開いた道は、2010年代には多くの日本人選手が行き交う道になっていました。

私がこの時代を振り返って印象深く感じるのは、香川と内田がライバルクラブでプレーしていたことです。

ドルトムントとシャルケ。

ドイツのサッカー文化を象徴するルールダービーに、日本人選手がそれぞれのクラブの一員として関わっていました。

それは、日本人選手が単に海外でプレーしているという話ではありません。

ドイツのサッカー文化のなかに、日本人選手の存在が確かに根付いていた時代だったのです。

そして2020年代、鎌田大地、遠藤航、堂安律らが、さらに新しい歴史をつくっていきます。

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