パリ五輪でゴールマウスを守っていた小久保玲央ブライアン選手を覚えています。
193cmの大きな体でゴール前に立ち、ピンチでは何度も日本を救ってくれました。
特に印象に残っているのは、やはりあの堂々とした姿です。

当時の私は、小久保選手を見ながら「これから日本代表のゴールを守っていく選手の一人になるのでは」と期待していました。
ただ、あらためて現在の小久保選手を追ってみると、パリ五輪で見ていた姿だけでは分からないキャリアがあります。
柏レイソルの育成組織から10代でポルトガルへ渡り、名門ベンフィカで過ごした長い時間。
そしてシント=トロイデンへ移籍し、ようやくトップリーグで継続してゴールマウスを守るようになりました。
そして2026年9月、小久保選手は再び日本代表に招集されています。
現在の成績はどうなっているのでしょうか。
そして、あのパリ五輪から日本代表の守護神争いへ、小久保玲央ブライアン選手はどこまで歩みを進めているのでしょうか。
今回は、私の記憶に残っているパリ五輪の姿から、現在までの歩みを追ってみます。
小久保玲央ブライアンの現在|シント=トロイデンでプレー
まずは、小久保玲央ブライアン選手の現在から見ていきます。
2026年9月現在、小久保選手が所属しているのはベルギー1部のシント=トロイデンVVです。
クラブ公式プロフィールでは2001年1月23日生まれ、国籍は日本、身長193cm。2024年にシント=トロイデンへ加入しています。
JFAが掲載している経歴をたどると、
柏エフォートFC
↓
柏レイソルU-15
↓
柏レイソルU-18
↓
柏レイソル
↓
ベンフィカU-23
↓
ベンフィカB
↓
ベンフィカ
↓
シント=トロイデンVV
という道を歩んできました。
日本の育成年代から、そのままJリーグで経験を積んだGKではありません。
10代で海外へ渡り、ポルトガルで長い時間を過ごしてきたGKです。
ベンフィカからシント=トロイデンへ完全移籍
小久保選手がシント=トロイデンへ完全移籍したのは2024年7月です。
移籍発表時、小久保選手は早くシント=トロイデンのユニフォームを着てプレーしたいという思いを語っていました。
また、立石敬之CEOは、小久保選手がベルギーリーグで経験を積むことで成長できるようサポートしていく考えを示しています。
振り返ってみると、この移籍は小久保選手のキャリアにとって大きな転換点だったように思います。
ベンフィカというクラブの名前だけを見れば、シント=トロイデンへの移籍をステップダウンと感じる人もいるかもしれません。
しかしGKにとって、試合に出ることの意味は小さくないはずです。
ベンフィカで待っていたGKが、シント=トロイデンで「試合に出るGK」へ。
現在の成績を見ると、その変化がはっきりと数字に表れています。
小久保玲央ブライアンの成績|欧州でどれだけ試合に出ている?
小久保玲央ブライアン選手の成績を見るうえで、ベンフィカ時代とシント=トロイデン移籍後では大きく状況が変わります。
トップリーグのリーグ戦記録を見ると、ベンフィカ在籍時にはトップチームでのリーグ戦出場がありませんでした。
一方、シント=トロイデン移籍後は2024-25シーズンにリーグ戦27試合、2025-26シーズンには30試合に出場しています。
| シーズン | 所属 | リーグ戦出場 |
|---|---|---|
| 2023-24 | ベンフィカ | 0 |
| 2024-25 | シント=トロイデン | 27 |
| 2025-26 | シント=トロイデン | 30 |
| 2026-27 | シント=トロイデン | シーズン進行中 |
もちろん、ベンフィカ時代を「試合に出ていなかった」の一言だけで片付けることはできません。
ベンフィカBなどで経験を積みながら、トップチームまで昇格した時間があります。
それでもトップリーグで継続してゴールを守るという意味では、シント=トロイデンへの移籍によって状況が大きく変わったことは間違いありません。
2026-27シーズンもゴールマウスを守る
2026-27シーズンも小久保選手はシント=トロイデンで出場を続けています。
9月20日までのリーグ戦では7試合に出場し、さらにUEFAヨーロッパリーグのプレーオフ2試合にもフル出場しています。
9月12日のベフェレン戦でも先発GKとして出場しており、クラブ公式の試合記録でも確認できます。
ベンフィカ時代にはトップリーグで出場機会を得られなかったGKが、今では欧州のトップリーグで毎週のようにゴールマウスに立っています。
私はここが、小久保選手の成績を見るうえで一番重要なところだと思います。

「何試合出たか」という数字だけではありません。
試合に出られない時間を経験した選手が、場所を変え、自分のポジションをつかんだ。
パリ五輪で私たちが見ていた小久保玲央ブライアンは、その途中にいた選手だったということです。
パリ五輪で見せた小久保玲央ブライアンの存在感
私が小久保玲央ブライアンというGKを強く意識したのは、やはりパリ五輪です。
ただ、小久保選手の活躍はパリ五輪から突然始まったものではありません。
その少し前、パリへの切符を懸けたAFC U23アジアカップ2024ですでに大きな仕事をしていました。
U23アジアカップで日本を救ったセーブ
JFAは当時の小久保選手について、守備範囲の広さとハイボールへの強さを特徴として紹介しています。
そしてAFC U23アジアカップでは好セーブを重ねました。
準決勝のイラク戦では、小久保選手を中心とした守備陣が相手の攻撃を無失点に抑え、日本は2-0で勝利。8大会連続となるオリンピック出場を決めています。
さらに決勝のウズベキスタン戦。
日本が1-0とリードして迎えた試合終了間際、相手にPKが与えられます。
これを止めたのが小久保選手でした。
JFAも小久保選手を「アジア制覇の立役者」と紹介しています。
GKというポジションは不思議です。
90分間ずっとボールに触れているわけではありません。
それでも、たった一度のプレーで試合の結果を変えることがあります。
決勝の終了間際にPK。
GKにとって、これ以上ないほど重い場面でしょう。
そこで止める。
パリ五輪で小久保選手が堂々として見えたのは、すでにその前に、こうした修羅場を経験していたからなのかもしれません。
パリ五輪では全4試合にフル出場
パリ五輪で小久保選手は日本の正GKを務めました。
グループリーグのパラグアイ戦、マリ戦、イスラエル戦、そして準々決勝のスペイン戦まで4試合すべてにフル出場しています。
日本はグループリーグを3連勝で突破。
準々決勝でスペインに敗れ、ベスト8で大会を終えました。
あの大会を見ていた私は、ゴールマウスに立つ小久保選手の姿を覚えています。
そして今回、あらためてその前後のキャリアを調べてみると、見え方が少し変わりました。
当時は「若くて大きなGKが出てきた」と見ていました。
しかし実際には、10代から海外へ渡り、ベンフィカでなかなかトップチームの試合に出られない時間を経験し、それでも年代別日本代表でポジションをつかんできた選手です。
あの落ち着いた姿の後ろには、すでに長い欧州での時間がありました。
小久保玲央ブライアンは日本代表で定位置をつかめるか
パリ五輪から2年。
小久保玲央ブライアン選手は、今度はSAMURAI BLUEのゴールマウスを目指しています。
2025年11月にA代表へ初招集されました。
初招集を知ったときには「思わず涙が溢れた」と語っています。
年代別代表で長く日の丸を背負ってきた選手にとっても、A代表はまた別の場所だったのでしょう。
そして2026年9月、小久保選手は約1年ぶりとなる日本代表活動へ復帰しました。
9月24日のウルグアイ戦、9月28日のベネズエラ戦などに臨むメンバーとして招集されています。
鈴木彩艶とは年代別代表時代から競ってきた
今回招集されたGKは、以下の3人です。
鈴木彩艶選手
早川友基選手
小久保玲央ブライアン選手
小久保選手を追っていると、鈴木彩艶選手の名前が何度も出てきます。
実は二人の競争はA代表から始まったものではありません。
JFAも、小久保選手について年代別代表で鈴木選手と切磋琢磨しながら成長してきたと紹介しています。
2023年のU-22日本代表でも、小久保選手と鈴木選手は同じGK陣に名を連ねていました。
その二人が、それぞれ欧州で経験を積み、今度はA代表のGKとして同じメンバー表に名前を並べています。
これはパリ五輪から見てきた側としては、なかなか興味深いものがあります。
「パリ五輪のGK」からその先へ
GKは一つしかないポジションです。
しかも代表では、クラブ以上に出場機会が限られます。
だからこそ、「代表に選ばれた=守護神になった」ではありません。
小久保選手にとっても、本当の競争はこれからでしょう。
ただし、2024-25シーズンにリーグ戦27試合、2025-26シーズンに30試合。そして2026-27シーズンもシント=トロイデンのゴールマウスに立っています。
パリ五輪の頃と比べても、クラブで積み重ねている実戦経験は確実に増えています。
私はパリ五輪を見ながら、「これから日本代表のゴールを守る選手の一人になるのでは」と思いました。

あれから2年。
その答えが出たわけではありません。
むしろ、ようやくその競争に本格的に入ってきたところなのかもしれません。
ベネズエラ戦でA代表デビュー|45分で見せた「国防ブライアン」
※試合後、追記
そして2026年9月28日、小久保玲央ブライアン選手に新しい一歩が加わりました。
キリンチャレンジカップ2026のベネズエラ戦に先発し、ついにA代表デビューを果たしたのです。

放映をワクワクしながら待っていました。
前半は日本がボールを持つ時間もあり、小久保選手が何度もセーブを求められる展開ではありませんでした。
それでも前半終了間際、ベネズエラにゴール前まで迫られます。
ここで小久保選手が好セーブを連発。
代表デビュー戦で迎えた大きなピンチをしのぎ、前半を0-0で終えました。
試合後の各メディアの評価も高く、サッカーダイジェストは小久保選手に採点7を付け、好セーブだけでなくフィードの正確さも評価しています。
一方で、フットボールチャンネルは評価Bとし、セービングを評価しながらも、相手のマンツーマン守備に対するビルドアップには課題があったと指摘しています。
私が見ていて印象に残ったのは、ピンチになったときにきちんとゴールを守る姿でした。
パリ五輪で見ていた、あの小久保玲央ブライアンがいました。
そしてハーフタイム、小久保選手は鈴木彩艶選手と交代します。
45分での交代だけを見ると、「出来が悪かったのだろうか」と思う人もいるかもしれません。
しかし、そうではありませんでした。
森保一監督は試合後、小久保選手から鈴木選手への交代について、短ければ45分、長くても後半のどこかで交代させるプランをもともと持っていたと説明しています。
さらに熊坂光希選手の負傷交代が前半早々にあったこともあり、交代回数や後半の選手起用を考えて、ハーフタイムでGKを交代させたということでした。
むしろ森保監督も、小久保選手が前半に良いプレーをして波に乗ってきたことを認めています。
小久保選手自身も試合後、君が代をピッチで歌ったことに「感情的にくるものがあった」と振り返り、パリ五輪後の悔しい経験を経て、4年後のワールドカップへ向けて良いスタートを切れたという思いを語っています。
日本は後半に1点を失ったものの、上田綺世選手の2得点で2-1の逆転勝利。
小久保選手のA代表最初の45分は、無失点で終わりました。
パリ五輪でゴールマウスを守っていた小久保玲央ブライアン選手を覚えている。
そんなところからこの記事を書き始めました。
その記事を公開した直後に、今度はA代表のゴールマウスを守る姿を見ることになりました。
パリ五輪の守護神、その先へ。

「その先」に触れた試合でした。
小久保玲央ブライアンについてよくある質問
小久保玲央ブライアン選手について、Web上では成績や所属クラブだけでなく、髪や家族、国籍などについても多く検索されています。
ここでは、実際に検索されている疑問を中心に整理します。
| 質問 | 回答 |
|---|---|
| 小久保玲央ブライアン選手はなぜスキンヘッドなのですか? | 髪や眉毛について、本人が理由を公表した信頼できる一次情報は確認できません。外見だけから理由を推測することはできません。 |
| 小久保玲央ブライアン選手は病気なのですか? | 髪の状態などから病気を推測する情報も見られますが、本人が病気を公表した事実は確認できません。憶測で判断しない方がよいでしょう。 |
| 小久保玲央ブライアン選手はハーフですか? | 父親がナイジェリア人、母親が日本人です。小久保選手自身は千葉県出身で、年代別から日本代表としてプレーしてきました。 |
| 小久保玲央ブライアン選手の国籍は? | シント=トロイデン公式プロフィールでは国籍は日本と記載されています。 |
| 小久保玲央ブライアン選手の父親の職業は? | 父親がナイジェリア人であることは報じられていますが、職業について信頼できる公表情報は確認できません。 |
| 小久保玲央ブライアン選手は結婚していますか? | 結婚や妻について、本人や所属クラブなどから確認できる公表情報は見当たりません。 |
| 小久保玲央ブライアン選手はナイジェリア代表なのですか? | 日本の年代別代表としてパリ五輪などに出場し、現在は日本のA代表に招集されています。2026年9月の日本代表メンバーにも選出されています。 |
髪や病気については気になる人も多いのでしょう。
ただ、それに対しての公表はありません。
それよりも私が興味を持ったのは、10代で日本を離れ、長い時間をかけて現在の場所までたどり着いたキャリアでした。
まとめ|小久保玲央ブライアンの成績と現在から見えるこれから
小久保玲央ブライアン選手の現在までを振り返ってみました。
柏レイソルの育成組織から10代でポルトガルへ。
ベンフィカではトップチームのリーグ戦出場には届かなかったものの、欧州で経験を積み続けました。
そして2024年にシント=トロイデンへ移籍。
2024-25シーズンはリーグ戦27試合、2025-26シーズンは30試合に出場し、2026-27シーズンもゴールマウスを守っています。
年代別代表ではAFC U23アジアカップ優勝とパリ五輪を経験。
そして現在はA代表のGKとして招集されています。
パリ五輪でゴールマウスに立っていた小久保玲央ブライアン選手を、私は覚えています。
あのとき見ていたGKは、そこから完成されたわけではありませんでした。
むしろ、シント=トロイデンで試合に出続け、さらに経験を積んでいます。
ベンフィカで待つ時間を過ごしたGKが、ベルギーで試合に出るGKになり、今度は日本代表のゴールマウスを争うところまで来ました。

パリ五輪で感じた「この先、日本代表を守るGKになるのでは」という期待。
その続きを、これから見られるのかもしれません。


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