
私は、須藤大輔さんの現役時代を知りません。
いま横浜FCを率いる須藤監督を見ていると、ふと思うことがあります。
これほど熱くサッカーを語り、選手たちを動かそうとする人は、現役時代にどんなプレーをしていたのでしょうか。
調べてみると、須藤さんのポジションはフォワード。そして、2007年にはヤマザキナビスコカップの得点王に輝いていました。
ナビスコカップ!
いまのルヴァンカップという名称ではなく、当時の大会名が出てくるだけでも、サッカーの歴史を感じます。
しかも、その得点王への道のりを追っていくと、川崎フロンターレとの準々決勝で、2試合合計5得点という驚くような記録に出会いました。
今回は、現在の横浜FC監督から時間をさかのぼり、選手・須藤大輔の姿を探してみます。
須藤大輔の現役時代はどんな選手だった?ポジションと経歴を振り返る
須藤大輔さんは1977年4月25日、神奈川県生まれです。
桐光学園高校、東海大学を経て、水戸ホーリーホックでプレー。その後、湘南ベルマーレ、ヴァンフォーレ甲府、ヴィッセル神戸、藤枝MYFCと渡り歩きました。
横浜FCの公式プロフィールでも、この選手歴が確認できます。
現役時代のポジションはFW。Jリーグでの通算成績は、次のとおりです。
| 大会 | 出場 | 得点 |
|---|---|---|
| J1リーグ | 45試合 | 6得点 |
| J2リーグ | 177試合 | 35得点 |
| カップ戦 | 17試合 | 7得点 |
| 天皇杯 | 16試合 | 7得点 |
出典:藤枝MYFC公式|須藤大輔監督 2025シーズン続投のお知らせ
数字を見て、まず印象に残ったのはカップ戦の成績です。
17試合で7得点。さらに、そのうち2007年のナビスコカップでは得点王を獲得しています。

現在の須藤監督を見ている私にとって、まずは「ゴールを決める側の人だったのか」という発見がありました。
もっとも、得点数だけでは、足元で勝負するFWだったのか、空中戦に強かったのか、あるいはゴール前への飛び出しを得意としていたのかまでは分かりません。
では、須藤さんの現役時代を象徴する舞台は、どこだったのでしょうか。
その答えを探すと、ヴァンフォーレ甲府時代にたどり着きます。
ヴァンフォーレ甲府で何を残した?須藤大輔の現役時代を象徴する活躍
須藤さんの経歴のなかで、今回とくに注目したいのがヴァンフォーレ甲府です。
2007年、甲府はJ1を戦っていました。
そして、その年のヤマザキナビスコカップで、須藤さんは得点王に輝きます。
ここで、現役時代の画像を見つけました。
白い甲府のユニフォームに背番号9。長い髪をヘアバンドで押さえた須藤さんが、試合後と思われるインタビューを受けています。
画面に表示されているのは「TODAY’S SCORE 2」。
いまの須藤監督しか知らない私には、その姿だけでも新鮮でした。
しかも、2007年7月15日の川崎フロンターレ戦では、実際に須藤さんが2得点を記録しています。
では、その2得点はどんな試合で生まれたのでしょうか。
調べてみると、さらに驚く記録が出てきました。
2007年ナビスコカップ得点王!川崎との準々決勝で2試合5得点
2007年のヤマザキナビスコカップ準々決勝。
甲府の相手は、川崎フロンターレでした。
この対戦で須藤さんは、第1戦で3得点、第2戦でも2得点。準々決勝の2試合だけで5得点を記録しています。
第1戦|ハットトリックで甲府が3対2の勝利
7月7日に行われた第1戦では、須藤さんがハットトリックを達成しました。
甲府は川崎を3対2で下し、準々決勝突破へ向けて先勝します。
ひとりで3得点を奪い、チームを勝利に導く。
出典:川崎フロンターレ公式|2007年ナビスコカップ準々決勝第1戦・甲府戦
「ナビスコカップ得点王」という肩書きを見たときには、ここまで鮮烈な試合があったとは思いませんでした。
ただ、勝負はまだ終わっていません。
翌週には第2戦が待っていました。
第2戦|再び2得点。それでも甲府は敗退した
7月15日の第2戦は、国立霞ヶ丘競技場で行われました。
須藤さんは前半12分に先制点を決めます。
その後、川崎に逆転されますが、後半29分に再び須藤さんがゴール。
甲府は2対2に追いつきました。
第1戦で3得点した選手が、第2戦でも2得点。
川崎からすれば、須藤さんを止められないまま、2試合を戦っていたことになります。
しかし、試合はここから動きます。
後半43分に川崎が得点し、3対2。2試合合計では5対5となり、勝負は延長戦へ進みました。
そして延長後半8分、川崎の黒津勝選手が決勝ゴール。
第2戦は川崎が4対2で勝利し、2試合合計6対5で準決勝進出を決めました。
出典:川崎フロンターレ公式|2007年ナビスコカップ準々決勝第2戦・甲府戦
須藤さんは2試合で5得点を奪いながら、甲府は敗退しました。
これは、記録を追いかけていて胸に残る結末です。
得点王という結果だけを見ると、華やかな活躍を想像します。
ところが、その中心にあったのは、チームを次のステージへ押し上げようとゴールを重ね、それでも届かなかった準々決勝でした。
得点王という記録の向こうに残ったもの
須藤さんは2007年のナビスコカップで得点王を獲得しました。
出典:Jリーグ公式|リーグカップ歴代得点王(2007年・須藤大輔)
私が今回、いちばん記憶に残したいのは、その肩書きだけではありません。
川崎との第1戦で3得点。
第2戦でも2得点。
それでも敗れたという事実です。
勝ち抜くために、これほどゴールを決めても届かないことがある。

そういう経験があの熱さを生んでいると考えてもいいかも知れません。
現役時代を知らなかった私にも、この2試合を通じて、選手・須藤大輔の存在が少しずつ見えてきました。
現役引退から指導者へ|須藤大輔はどんな道を歩んできたのか
須藤さんは甲府の後、ヴィッセル神戸、藤枝MYFCでプレーしました。
2010年、当時東海社会人サッカーリーグ1部に所属していた藤枝MYFCで現役を引退しています。
その後は、指導者の道へ進みました。
| 時期 | 指導歴 |
|---|---|
| 2011〜2014年 | 山梨学院大学サッカー部コーチ |
| 2018年6〜12月 | ガイナーレ鳥取監督 |
| 2021年7月〜2025年 | 藤枝MYFC監督 |
| 2026年〜 | 横浜FC監督 |
現役最後のクラブだった藤枝に、今度は監督として戻ったことも興味深いところです。
2021年7月に藤枝の監督に就任すると、2022年にはJ3で2位となり、クラブをJ2昇格へ導きました。
2025年限りで藤枝を離れる際には、クラブ公式の退任コメントで、結果と内容の両方を追い求め、試行錯誤を続けてきた時間を振り返っています。
そして2026年、横浜FCの監督に就任しました。
選手としてゴールを追いかけていた須藤さんは、今度は監督として、チーム全体でゴールを生み出すサッカーに取り組んでいます。
現役時代を知ると、横浜FCの須藤監督はどう見える?
横浜FCの監督就任時、須藤さんは「インプレッシブサッカー」を掲げました。
内容と結果の両方を追い求め、選手が全力で躍動するサッカーを目指すという言葉が、就任コメントに残っています。
出典:横浜FC公式|須藤大輔氏 トップチーム監督就任のお知らせ
いまの横浜FCを見ている私には、須藤監督の言葉から、サッカーへの強い情熱が伝わってきます。
だからこそ、現役時代が気になりました。
今回、その過去を調べてみると、ナビスコカップ準々決勝で川崎相手に5得点を奪ったFWだったことが分かりました。
もちろん、現役時代にFWだったことと、現在の戦術を直接結びつけることはできません。
ただ、須藤さん自身が大きな勝負の舞台でゴールを決め、勝利を目指して戦っていた選手だったと知ると、監督の姿を見る楽しみがひとつ増えます。
次に須藤監督が攻撃について語るとき。
あるいは、横浜FCの選手がゴール前へ飛び込んでいくとき。
私はきっと、2007年の川崎戦で5得点を奪った背番号9のことを思い出すでしょう。
まとめ|須藤大輔の現役時代を知らなかった私が見つけたもの
須藤大輔さんの現役時代を調べて、いちばん驚いたのは2007年のヤマザキナビスコカップでした。
川崎フロンターレとの準々決勝で、第1戦はハットトリック、第2戦も2得点。それでも甲府は延長戦の末に敗退しました。
得点王という記録の裏に、そんな試合があったのです。
私は、須藤さんの現役時代を知りませんでした。
それでも今回、記録をたどることで、いま横浜FCを率いる須藤監督の過去に触れることができました。
昔から知っている選手の記憶を振り返るのも、サッカーの楽しさです。
そして、いま応援しているチームの監督をきっかけに、知らなかった選手の記憶を発見する。
そんな楽しみ方もあるのだと思います。

これから横浜FCの試合を見るとき、私の頭には、長髪にヘアバンド、甲府の背番号9をつけた須藤大輔の姿が浮かぶかもしれません。


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