古橋亨梧の成績を振り返ると、ひときわ目を引くのがセルティック時代です。
公式戦165試合で85得点。
2022-23シーズンにはリーグ得点王に輝き、国内3冠の原動力になりました。
しかし、フランスのレンヌへ移籍すると出場機会を得られず、半年後にはバーミンガムへ。
さらに2026年7月、古橋は海を渡ってMLSのLAギャラクシーへ移籍しました。
同じストライカーでありながら、なぜセルティックではあれほど得点を量産し、ほかのクラブでは苦しんだのでしょうか。
私が思い出すのは、ヴィッセル神戸時代にアンドレス・イニエスタからかけられた言葉です。
「自信を持て。君なら大丈夫」
古橋の武器は、ボールを持ってから発揮されるものではありません。
味方を信じて走り、その動きを見つけてもらったとき、古橋亨梧というストライカーは最も輝くのではないでしょうか。
成績と移籍の歴史を追いながら、古橋がセルティックで愛され、レンヌで苦しみ、日本代表に呼ばれないと言われ続けた理由を考えます。
古橋亨梧の成績は?J2から海外へ駆け上がったキャリア
古橋亨梧は1995年1月20日生まれ、奈良県生駒市出身のフォワードです。
興國高校から中央大学へ進みましたが、卒業を前にしてもJクラブからなかなか声がかかりませんでした。
ようやくプロとしての入口に立ったのが、2017年に加入したJ2のFC岐阜です。
その後、ヴィッセル神戸、セルティック、レンヌ、バーミンガム、LAギャラクシーと移籍してきました。
| 所属クラブ | 在籍期間 | 主な成績 |
|---|---|---|
| FC岐阜 | 2017年~2018年 | J2リーグ68試合17得点 |
| ヴィッセル神戸 | 2018年~2021年 | J1リーグ95試合42得点 |
| セルティック | 2021年~2025年 | 公式戦165試合85得点 |
| スタッド・レンヌ | 2025年1月~7月 | リーグ戦6試合0得点 |
| バーミンガム・シティ | 2025年~2026年 | 公式戦31試合3得点 |
| LAギャラクシー | 2026年7月~ | MLSでプレー中 |
※大会を含む「公式戦」とリーグ戦のみの数字が混在するため、単純比較ではなく各クラブでの活動規模を示す目安として掲載しています。
FC岐阜では、加入1年目からJ2リーグ全42試合に出場。
2018年も開幕から得点を重ねると、シーズン途中にヴィッセル神戸へ引き抜かれました。
J2でプロ生活を始めた選手が、わずか4年後には海を渡り、セルティックのエースになります。
ただし、成績の数字だけを見ると、セルティックで突然才能が開花したようにも見えます。
本当にそうだったのでしょうか。
古橋が自分の武器を信じられるようになった時間は、その前に所属した神戸にありました。
出典:ヴィッセル神戸公式|FC岐阜よりFW古橋亨梧選手 完全移籍加入のお知らせ
古橋亨梧を変えた神戸時代|イニエスタの「自信を持て」
2018年8月、古橋はFC岐阜からヴィッセル神戸へ完全移籍しました。
当時の神戸には、スペイン代表としてワールドカップを制したアンドレス・イニエスタが加入したばかりでした。
世界最高峰のパサーと、J2からやってきた23歳のストライカー。
経歴だけを比べれば、あまりにも大きな差があります。
ところがピッチに立つと、二人は強い信頼関係で結ばれていきました。
古橋が相手ディフェンスの背後へ走る。
イニエスタが、その動きを見逃さずにパスを通す。
古橋はイニエスタについて、「走れば出てきますし、僕もそれを決める自信がある」と語っています。
それまでの古橋にも、スピードはありました。
ディフェンスの背後へ飛び出す感覚も備えていたのでしょう。
しかし、優れた動きをしても、パスが来なければゴールにはつながりません。
何度走ってもボールが来なければ、選手は次第に動き出しをためらうようになります。
イニエスタは違いました。
古橋が走れば、本当にボールが出てくる。
世界の頂点を知る選手が、自分の動きを正解として認めてくれる。
さらにイニエスタは、「自分らしくやれば大丈夫だから、自信を持ってプレーしてほしい」という言葉を古橋にかけました。
古橋がイニエスタから受け取ったものは、パスだけではなかったのだと思います。
自分の走りは間違っていない。
自分はもっと前へ出ていい。
その確信を手に入れたことが、後のセルティックでの活躍につながったのではないでしょうか。
神戸でのJ1通算成績は95試合42得点。
2021年にはシーズン途中まで21試合15得点を記録し、得点ランキング首位の状態で日本を離れました。
セルティックへ向かった古橋は、まだ完成されたストライカーではなかったかもしれません。
しかし、自分がどこへ走ればいいのかは、すでに知っていました。
セルティックで古橋亨梧はなぜ得点を量産できたのか
2021年7月、古橋亨梧はスコットランドの名門セルティックへ完全移籍しました。
当時セルティックを率いていたのは、横浜F・マリノスから招かれたアンジェ・ポステコグルー監督です。
前線からの守備と素早い攻守の切り替えを求め、ボールを前へ運びながら相手の背後を狙うサッカー。
それは古橋の特徴とよく合いました。
出典:ヴィッセル神戸公式|FW古橋亨梧選手 セルティックFCへの移籍合意のお知らせ
古橋は、ボールを受けてからドリブルで何人も抜いていく選手ではありません。
大柄なディフェンダーを背負い続け、力で押し込むセンターフォワードでもありません。
古橋の勝負は、味方がパスを出すよりも前に始まっています。
ディフェンダーの視界から一度消える。
相手がボールや味方選手へ意識を向けた瞬間に方向を変える。
ほんのわずかに生まれた隙間へ、一気に走り込む。
言い換えれば、古橋は「ボールが来る前に勝負しているFW」です。
セルティックには、その動きを見てパスを届ける選手がいました。
チーム全体も相手陣内でプレーする時間が長く、古橋がペナルティーエリア付近で何度も勝負できました。
移籍初年度の2021-22シーズンには、負傷離脱がありながら公式戦33試合20得点。
2022-23シーズンにはリーグ戦27得点で得点王となり、公式戦では34得点を記録しました。
宿敵レンジャーズとのカップ決勝でも2得点を挙げています。
大きな試合で決める。
優勝がかかった試合で決める。
古橋のゴールは数字として積み上がるだけでなく、セルティックのタイトルに直結しました。
セルティック在籍中に残した成績は、公式戦165試合85得点。
獲得した国内タイトルは、リーグ優勝3回、リーグカップ優勝3回、スコティッシュカップ優勝2回です。
出典:Reuters|古橋亨梧のセルティック在籍成績と獲得タイトル
古橋は、周囲に生かしてもらうだけの選手だったわけではありません。
味方が顔を上げるたびに走り、たとえパスが来なくても次の瞬間にはまた動き直す。
その繰り返しによって、味方にパスを出す選択肢を与えていました。
神戸ではイニエスタが見つけてくれた走りを、セルティックではチーム全体が共有していた。
だからこそ、古橋の動きがゴールになり続けたのだと思います。
「俺たちのキョウゴ!」セルティックの街に愛された日本人
セルティック時代の古橋を語る数字はいくつもあります。
しかし、私の記憶に強く残っているのは得点数ではありません。
2023年3月26日に放送された『情熱大陸』で見た、グラスゴーの街の光景です。
古橋が街へ出ると、サポーターが次々に声をかける。
一緒に写真を撮ろうと肩を組まれ、なかなか前へ進めない。
勝利の夜には、酒場のファンから「キョウゴ!俺たちのキョウゴ!」と讃えられる。

画面の中で少し照れたように笑う古橋を見ながら、本当にこの街に愛されている選手なのだと感じました。
番組が古橋につけた言葉は「グラスゴーの街に愛される男」でした。
出典:MBS『情熱大陸』|古橋亨梧「グラスゴーの街に愛される男」
海外でプレーする日本人選手が増えた今でも、その国のサポーターからここまで親しみを込めて名前を呼ばれる選手は多くありません。
古橋は英語が流暢だから愛されたわけではないでしょう。
大柄な選手でも、派手な言動で注目を集めるタイプでもありません。
試合が始まれば誰よりも走り、ゴールを決め、チームが勝つために体を動かし続ける。

その姿を、サッカーを見る目の肥えたセルティックのサポーターが認めていたのだと思います。
85得点は記録として残ります。
しかし、街中で「キョウゴ!」と呼び止められた光景は、数字とは違う形で古橋がセルティックに残したものを伝えてくれます。
古橋亨梧はなぜセルティックからレンヌへ移籍したのか
2025年1月、古橋はセルティックからフランス1部のスタッド・レンヌへ完全移籍しました。
契約期間は2027年6月までの2年半。
移籍金は約1000万ポンドと報じられています。
30歳を迎えた古橋にとって、欧州5大リーグへ挑戦できる時間は決して長く残されていませんでした。
セルティックでは数多くのタイトルを獲得し、得点王にもなった。
サポーターから愛され、チーム内での立場も確立している。
そのまま残る選択は、決して間違いではありません。
それでも古橋は、より競争の激しいリーグへ向かいました。
本人は移籍後のインタビューで、新しい挑戦への意欲を語っています。
カタールワールドカップのメンバーから外れた経験も、心の中に残っていたはずです。
より高いレベルと評価されるリーグで結果を残せば、日本代表への道が再び開くかもしれない。
そう考えたとしても不思議ではありません。
成功した場所に残るのではなく、自分がどこまで通用するのかを確かめに行く。

レンヌ移籍は、セルティックへの不満ではなく、選手としての時間を前へ進めるための決断だったのではないでしょうか。
私はこの移籍を、古橋がセルティックを捨てたとは思いません。
「自信を持て」と送り出された選手が、その自信を胸に、さらに難しい場所へ走り出した。
その挑戦だったのだと思います。
レンヌではなぜ輝けなかった?セルティックとの違い
ところが、レンヌで古橋を待っていたのは厳しい現実でした。
リーグ戦の出場は6試合。
先発はわずかで、得点を挙げることもできませんでした。
加入直後から監督交代があり、チームの状況も安定していません。
古橋がプレーの特徴を理解してもらい、周囲との関係を築く前に、出場機会そのものが失われていきました。
古橋は、前線でボールを収め続けるタイプではありません。
相手ディフェンダーを背負った状態でロングボールを受け、味方の上がりを待つ役割ばかりを求められれば、長所を発揮しにくくなります。
最大の武器は、背後への動き出しです。
その動きを味方が見ていること。
パスを出す選手とタイミングを共有できていること。
チームが古橋の走る場所へボールを届けようとしていること。
この条件がそろって初めて、古橋の一歩は決定的な一歩になります。
神戸にはイニエスタがいました。
セルティックではチーム全体が古橋の動きを理解していました。
レンヌでは、その関係を築く時間さえ与えられなかったように見えます。
もちろん、リーグ・アンのディフェンダーの速さや強さ、セルティックよりも自分たちがボールを持てない試合の多さも影響したでしょう。
しかし、6試合の出場だけで「フランスでは通用しなかった」と結論づけるのは早すぎます。
古橋は、どこへ置いても一人で得点を生み出す万能型のFWではないのかもしれません。

けれど、それは能力が低いという意味ではありません。
古橋の動きを信じてボールを出す選手がいる。
古橋もボールが来ると信じて走り続ける。
その信頼が成立したとき、とてつもない得点力を発揮するストライカーです。
レンヌでの半年間は、古橋の限界を示したというより、古橋を生かすために何が必要なのかを、逆にはっきり見せたように思います。
古橋亨梧はなぜ日本代表に呼ばれないと言われ続けたのか
古橋亨梧は2019年に日本代表デビューを果たし、これまで23試合で5得点を記録しています。
しかし、セルティックで得点を量産していた時期も、日本代表の絶対的なセンターフォワードにはなれませんでした。
2022年のカタールワールドカップでは、直前まで代表に招集されながら本大会のメンバーから落選。
2022-23シーズンに得点王争いを独走していた2023年3月の代表メンバーにも選ばれませんでした。
森保一監督は選考について「総合的な判断」と説明し、各国リーグのレベルや選手が置かれている状況も考慮したと話しています。
ただ、古橋が代表に定着できなかった理由を、スコットランドリーグのレベルだけで説明することはできません。
同じセルティックでプレーする前田大然は、カタールワールドカップのメンバーに選ばれました。
前田は中央だけでなくサイドでも起用でき、驚異的な走力で相手のビルドアップを追い続けます。
守備から試合へ入る日本代表にとって、前田の役割は分かりやすいものでした。
一方の古橋は、相手の背後へ走り、決定的な場所でパスを受けることで真価を発揮します。
古橋が走る瞬間と、パスを出す側が顔を上げる瞬間を合わせるには、互いの理解が必要です。
セルティックのように相手陣内でボールを持ち続けられる試合ばかりでもありません。

古橋が日本代表に呼ばれないと言われ続けたのは、得点力が足りなかったからではなく、日本代表の戦い方の中で、その得点力を再現する方法が見つからなかったからではないでしょうか。
レンヌでの苦戦と、日本代表で定位置をつかめなかった理由には、共通するものがあるように見えます。
古橋が走る。
しかし、その走りを見てボールを出す関係ができていない。
古橋の長所が、チームの攻撃の中心に置かれていない。
古橋に合わせてチームを作るのか。
チームの戦い方に古橋を合わせるのか。
この順番の違いが、セルティックと日本代表での成績の差になって表れたのではないかと私は考えます。
古橋亨梧の現在|移籍を重ねてもゴールを求めて走り続ける
レンヌで出場機会を得られなかった古橋は、2025年7月にイングランドのバーミンガム・シティへ完全移籍しました。
バーミンガムでは2025-26シーズンの公式戦31試合に出場し、3得点。
セルティック時代のような得点数には届かず、2026年7月21日にMLSのLAギャラクシーへの移籍が発表されました。
出典:LAギャラクシー公式|古橋亨梧 完全移籍加入のお知らせ
2026年9月現在、古橋は31歳。
LAギャラクシーでは加入後から先発で起用される試合が続いています。
まだセルティック時代のようにゴールを量産しているわけではありません。
それでも、新しいチームの中で味方とのタイミングを合わせ、得点につながる場所へ走り続けています。
FC岐阜でプロへの道を走り始めた古橋。
神戸では、走ればイニエスタからボールが届きました。
イニエスタの「自信を持て」という言葉を胸に海を渡ると、セルティックで85得点を挙げました。
グラスゴーの街では「俺たちのキョウゴ」と呼ばれる存在になりました。
レンヌとバーミンガムでは苦しみました。
そして今度は、アメリカで新しい仲間と走り始めています。
古橋がどこへ移籍しても、やることは変わりません。
味方を信じ、相手の背後へ走ることです。

その一歩を見つけ、ボールを届けてくれる選手と出会ったとき、古橋亨梧はもう一度大きく輝くのではないでしょうか。
古橋亨梧についてよくある質問
古橋亨梧の現在の所属クラブはどこですか?
2026年9月現在は、アメリカ・MLSのLAギャラクシーに所属しています。
2026年7月にバーミンガム・シティから完全移籍しました。
古橋亨梧のセルティックでの成績は?
2021年から2025年まで在籍し、公式戦165試合で85得点を記録しました。
2022-23シーズンにはリーグ戦27得点で得点王に輝いています。
古橋亨梧はレンヌで何得点しましたか?
レンヌではリーグ戦6試合に出場し、得点はありませんでした。
2025年1月に加入しましたが、約半年後にバーミンガムへ移籍しています。
古橋亨梧はなぜセルティックを離れたのですか?
古橋は30歳で欧州5大リーグのフランスへ挑戦しました。

セルティックでは多くのタイトルを獲得しており、成功した環境に残るよりも、新しいリーグで自分を試す道を選んだと考えられます。(※個人の見解です。)
古橋亨梧はなぜ日本代表に呼ばれないのですか?
森保一監督は選考を「総合的な判断」と説明しています。

古橋の能力だけでなく、日本代表の戦術、前線に求める守備、周囲との連係、ほかのFWとの役割の違いなどが関係していると考えられます。
まとめ
古橋亨梧のキャリアを振り返りました。
FC岐阜でプロ生活を始め、神戸を経て海外へ移籍
イニエスタの「自信を持て」という言葉が成長を後押し
セルティックでは公式戦165試合85得点
グラスゴーの街で「俺たちのキョウゴ」と愛された
レンヌではリーグ戦6試合無得点
日本代表では23試合5得点
2026年7月からLAギャラクシーでプレー
成績だけを見れば、セルティック時代が古橋の頂点だったように見えるかもしれません。
しかし、31歳になった古橋のキャリアはまだ続いています。
古橋亨梧というストライカーは、ボールを持ってからではなく、ボールが来る前に勝負しています。
誰よりも早く相手の背後へ走り、味方からのパスを信じて待つ。
神戸でイニエスタが認め、セルティックの仲間とサポーターが信じたその走りは、まだ失われていません。
LAのピッチで走ったその先に、再び「俺たちのキョウゴ」と呼ばれる日が来ることを期待しています。


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