2026年9月24日、日本代表はウルグアイ代表と対戦しました。
この試合でいきなり結果を残したのが、A代表初出場だった松木玖生選手です。
右ウイングバックで先発すると、前半11分。カットインから得意の左足を振り抜き、代表デビュー戦で初ゴールを決めました。
その松木選手について、試合後の久保建英選手がこんな言葉を残しています。
「持っている側の人間だなと思いました」
さらに中村敬斗選手、小川航基選手の名前を挙げながら、流れが良くないなかで点を取り切ったことを評価していました。

本人は意識していなかったと思いますが、私には久保が初ゴールを挙げるまでを思わずにはいられませんでした。
久保選手は日本代表の主力です。
今では代表で50試合を経験する選手になりました。
2026年のワールドカップで痛めた左ひざを心配する声もありましたが、9月22日の代表合宿では本人が「今はもう何ともない」「コンディション自体は本当に問題ない」と話しています。
それでも私が今回書きたくなったのは、現在のケガやクラブでの状況だけではありません。
「持っている側の人間」
その言葉を聞いたとき、久保選手自身の日本代表での最初のゴールを思い出したからです。
「和製メッシ」と注目され、子どもの頃から将来を期待されてきた久保建英選手。
そんな彼でさえ、日本代表で最初の1点を取るまでには長い時間がかかりました。
今回は、日本代表の久保建英選手について、私が初めてその名前を知った頃から振り返ってみます。
久保建英を知ったのは12歳――「未来のスーパースター」を予感した
私が久保建英という名前を知ったのは、Jリーグでプレーするようになってからではありません。
2013年です。
当時の久保選手は、まだ12歳でした。
スペインの名門FCバルセロナの下部組織で、日本人の少年がプレーしている。
そのニュースを見た記憶があります。
当時の記事をあらためて探してみると、その頃から日本でかなり注目されていたことが分かります。
2013年8月、久保選手はバルセロナの一員として「U-12ジュニアサッカーワールドチャレンジ2013」に出場するため日本へやってきました。
日刊スポーツは当時、「和製メッシ凱旋2発」と報道しています。
東京ヴェルディジュニアとの試合では開始59秒でゴール。セレッソ大阪U-12戦でも先制点を決めました。
会場には約2000人ものファンや報道関係者が集まったとされています。
デイリースポーツの記事にも、鋭いドリブルやノールックパスを見せる久保選手に観客が沸き、試合後には子どもたちが集まっていた様子が残っています。
12歳です。
今なら全国民を集めても、久保建英という名前を知らない方が少ないでしょう。
しかし、当時はまだ「日本代表の久保建英」ではありません。
バルセロナの下部組織に、とんでもない日本人の少年がいる。
私の中に残ったのは、そんな印象でした。
このまま成長したら、どんな選手になるのだろう。

未来のスーパースターになるんじゃないか。
そんな期待を持たせるには十分でした。
ただし、当時12歳だった少年がどんな道を通って日本代表の中心へたどり着くのかまでは、もちろん知りませんでした。
日本に戻った久保建英――15歳でJリーグのピッチへ
スペインで成長を続けていた久保選手ですが、2015年に日本へ戻り、FC東京U-15むさしへ加入します。
そこからの歩みも速いものでした。
FC東京U-18へ昇格すると、さらにトップチームへ近づいていきます。
そして2016年11月、FC東京U-23の選手としてJ3のAC長野パルセイロ戦に出場。
15歳でJリーグのピッチに立ちました。
翌2017年4月には、セレッソ大阪U-23戦でJリーグ初ゴールを記録します。
15歳10カ月11日。
当時のJリーグ最年少得点記録でした。
私にとっては、スペインにいた「あの少年」が、日本のプロサッカーの世界に現れた感覚です。
しかも、ただ話題になっただけではありません。
実際に試合に出て、ゴールまで決めています。
16歳になるとFC東京とプロ契約を結び、J1のピッチにも立ちました。
12歳で見たときに感じた期待が、少しずつ現実になっていきます。
そして久保選手は、クラブだけではなく、日本代表でも年齢の壁を次々と越えていきました。
15歳でU-20日本代表へ――日の丸を背負うのも早かった
久保選手の年代別日本代表での歩みも、普通ではありませんでした。
2015年にU-15日本代表へ招集されると、その後は上の年代へ飛び級で選ばれていきます。
2016年にはU-16日本代表。
そして2017年には、まだ15歳ながらFIFA U-20ワールドカップ韓国大会のメンバーに入りました。
JFAも久保選手について、年齢より上のカテゴリーへ飛び級で招集されるようになった経歴を紹介しています。
U-20です。
20歳以下の選手が出場する大会に、15歳の久保選手がいました。
初戦の南アフリカ戦では途中出場し、堂安律選手の決勝ゴールをアシストします。

今では当たり前のように見られるコンビネーションはもうこの時発現していました。
あの12歳の少年が、今度は日の丸をつけて世界大会でプレーしている。
ここまで来れば、次に期待する場所は自然とA代表になります。
いつ選ばれるのか。
いつ日本代表でプレーするのか。
久保建英なら、そこへたどり着くのも時間の問題。
そんな見方をされる選手になっていました。
そして2019年、その時がやってきます。
18歳で日本代表デビュー――期待とは裏腹に初ゴールは遠かった
2019年5月、久保選手が初めてSAMURAI BLUEに招集されました。
発表された時点では17歳。
市川大祐さんに次ぐ、当時史上2番目の若さでの日本代表入りでした。
そして18歳の誕生日を迎えた直後の6月9日。
キリンチャレンジカップのエルサルバドル戦で後半22分から出場し、A代表デビューを果たします。
18歳5日。
こちらも日本歴代2位の若さでした。
12歳でバルセロナの下部組織にいた少年が、18歳で日本代表になりました。
ここまでは、驚くほど速い。

それなら代表初ゴールも、すぐに生まれる。
自然とそう思えました。
しかし、なかなか入りませんでした。
試合には出る。
チャンスにも絡む。
それでも「日本代表・久保建英」の最初の1点が遠いのです。
ようやくゴールが生まれたのは、A代表デビューから約3年後でした。
2022年6月10日、キリンカップサッカーのガーナ戦。
久保選手は後半28分、三笘薫選手からのボールを左足で決めました。
待望の代表初ゴールです。
その試合後、久保選手自身がJFAのインタビューで語った言葉があります。
「代表でのゴールは、一生このまま決められないんじゃないかと思うこともありました」
あの久保建英が、です。
子どもの頃から「天才」と呼ばれました。
バルセロナでプレーしました。
15歳でJリーグに出場し、年代別代表を飛び級し、18歳でA代表まで駆け上がりました。
そんな久保選手でも、代表でゴールを決めることは簡単ではありませんでした。
だから私は、松木玖生選手の代表デビュー戦を見たあとの久保選手の言葉に、少し感じるものがあったのだと思います。
「持っている側の人間だなと思いました」
もちろん、久保選手が自分を「持っていない側」と言ったわけではありません。
松木選手の勝負強さを素直に評価した言葉です。
それでも、自分自身は代表初ゴールまで長い時間を経験しています。
その久保選手から出た「持っている側」という表現だからこそ、私には妙に印象深く聞こえました。
日本代表の主力へ――久保建英が積み重ねてきた現在地
最初の1点までには時間がかかりました。
しかし、それで久保選手の代表での時間が止まったわけではありません。
カタールワールドカップを経験し、その後も日本代表に選ばれ続けました。
2026年9月の代表活動を前に、久保選手自身がすでに代表50キャップを刻んでいることも報じられています。
18歳で初めて日本代表のピッチに立った選手が、今では若い選手を迎える側になりました。
2026年9月24日のウルグアイ戦も、その変化を感じる試合だったように思います。
代表初出場だった松木玖生選手がゴールを決めました。
塩貝健人選手も代表初ゴールを記録しました。
その後輩たちについて、久保選手が試合後に言葉を残しています。
かつて18歳で代表デビューした久保選手が、今では初招集や初ゴールを経験する選手を見る立場になっています。
時間が流れたのだと感じます。
そして、もう一つ気になるのがコンディションです。
久保建英の怪我は大丈夫?本人は「今はもう何ともない」
久保選手について検索すると、「怪我」を心配する人が多いことが分かります。
それも無理はありません。
2026年のワールドカップ、オランダ戦で左ひざを負傷。
その影響でプレシーズンへの合流が遅れ、レアル・ソシエダでも思うように出場時間を得られない時期が続きました。
9月22日の時点では、クラブで公式戦6試合230分の出場。直近4試合は先発から外れていました。
ただし、現在の状態について本人は、
「今はもう何ともないですけど、僕が思ってたよりは長かった」
と説明しています。
さらに、
「コンディション自体は本当に問題ない」
とも話しました。
少なくとも本人の言葉からは、現在も左ひざの痛みを抱えながら無理をしているという状況ではなさそうです。
9月24日のウルグアイ戦ではベンチスタートとなりましたが、後半19分から出場。右シャドーに入り、攻撃に変化をつけました。
もちろん、ケガから戻ったからすぐにすべてが元通りになるとは限りません。
試合勘もあります。
クラブでの出場時間もあります。
何より、久保選手自身が「思ってたよりは長かった」と感じる負傷でした。
だからこそ、これからコンディションを上げていく久保建英を見ていきたいと思います。
日本代表にとって、まだまだ重要な選手です。
12歳で見た少年は日本代表の主力になった
2013年。
私が久保建英という名前を知ったとき、彼はまだ12歳でした。
バルセロナの下部組織でプレーする日本人の少年。
未来のスーパースターになるのではないか。
そんな期待を抱かせる存在でした。
あれから13年が経ちました。
Jリーグにデビューし、年代別日本代表を飛び級し、18歳でA代表へ。
文字だけを追えば、順調に階段を駆け上がったようにも見えます。
しかし、その途中には代表初ゴールがなかなか決まらず、「一生このまま決められないんじゃないか」と思った時間もありました。
だからこそ、2026年9月24日に松木玖生選手がデビュー戦でゴールを決めたあと、久保選手が口にした言葉が、私には残りました。
サッカー選手の才能は、ひとつのゴールだけで決まるものではありません。
早く結果が出る選手もいれば、期待されながらなかなか結果に届かない選手もいます。
久保建英ほどの選手でさえ、日の丸を背負って最初の1点を取るまでには時間が必要でした。
12歳の頃に感じた「未来のスーパースター」という予感。
その未来は確かに現実になっています。
ただ、そこまでの道は、当時想像したほど簡単なものではなかったのでしょう。
バルセロナで過ごした少年時代。
日本へ帰ってからのFC東京。
再びスペインへ渡ってからのクラブでの歩み。
レアル・ソシエダでの現在地。
一つの記事ですべてを振り返るには、久保建英という選手には「記憶」が多すぎます。
今回は、早くにその才能を開花させた久保建英について書きました。
そして、久保建英についてはまだ書きたいことがあります。
「タケ」については、また別の「記憶」から書いてみたいと思います。


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